孫子兵法答話

  • 要旨: 呉王闔閭と伍子胥・孫武との問答形式で、九地(散地・軽地・争地・交地・衢地・重地・圮地・囲地・死地)それぞれの状況における具体的な戦術を論じ、あわせて将の資質、旌旗や天候から吉凶を占う法、後世の兵法書に見える孫子関連の逸文を付す。テキスト自体が佚文の集成であり、按語(考証)を含む。

郢入城後の対楚戦略

  • 呉王が「郢に入城できないと言っていたのに実現できたのはなぜか」と問うと、伍子胥・孫武は、勝利を借りて威を成しただけであり常勝の道ではないと答える。楚は天下の強敵であり、十のうち一つしか残らない賭けであったが、郢入城は天運によるものであり必然ではなかったとする。
  • 再び楚を攻める方策を問われると、楚の令尹である囊瓦が貪欲で諸侯に多くの過失を犯しており、唐・蔡の両国がこれを怨んでいるため、まずこの二国を味方につけるべきだと答える(春秋時代、紀元前6世紀末)。

散地での戦術

  • 民が家を顧みて戦意が低く城を固守するしかない散地で、敵が小城を攻め田野を掠め要路を塞いで攻めてきた場合、孫武は、敵は深く侵入して背水の覚悟で戦うのに対し、自軍は安逸を望み陣も戦いも不利になるとし、民と穀物を集めて城と険阻を固め、軽兵で敵の糧道を断ち、敵が疲弊し飢えたところを誘えば功を得られるとする。野戦になる場合は険阻に依り伏兵を用い、天候の悪い時に不意を突くべきだとする。

軽地での戦術

  • 敵地に浅く入り兵が帰還を望み、進みにくく退きやすい軽地では、名城や大通りを避け、偽って撤退すると見せかけつつ、精鋭の騎兵に敵の牛馬家畜を奪わせて士気を高め、伏兵を用意して敵が来れば迷わず撃ち、来なければ立ち去るべきだとする。

争地での戦術

  • 敵が先に有利な地を占める争地では、無理に攻めず、偽って敗走を装い敵の大切なものを狙う陽動を行い、伏兵を用意して敵をおびき出すべきだとする。反対に自軍が先に有利な地を占めた場合は、精鋭で固守し、軽兵で追撃しつつ険阻に伏兵を配し、敵が反撃してきたところを挟撃するのが全勝の道だとする。

交地での戦術

  • 往来自由な交地で、備えが間に合わない状況では、兵を隠して守りが緩んでいるように見せかけ、油断させた敵に伏兵で不意打ちをかければ功を得られるとする。

衢地での戦術

  • 遠方から進軍が遅れ先着できない衢地では、周辺国に賄賂と使者を送って和親を結び、援軍が遅れても連携を成立させ、兵を整えて有利な地に構え、周辺国と共に一斉攻撃をかければ敵は対応できなくなるとする。

重地での戦術

  • 敵地深くに入り糧道が断たれた重地では、掠奪によって食糧を継ぎ、得た物資を上に納めれば士卒に帰還の意欲が薄れるとする。撤退する場合は、堅固な備えを見せて長期滞在を装いつつ、密かに要害の抜け道を整え、囮の牛馬とともに軽車で敵を誘い出し、伏兵と内外呼応して撃破すべきだとする。

圮地での戦術

  • 険阻な圮地で敵に前後左右を囲まれた場合は、軽車を先に十里ほど進ませて敵情を探り、状況に応じて左右に分かれつつ、隙を見て道を選び、疲れたところで止まるべきだとする。

囲地での戦術

  • 前に強敵、後ろに険難があり糧道を断たれた囲地では、逃げ道を塞いで死中に活を求める姿勢を示し、士気を鼓舞して奮い立たせ、伏兵を配して敵の隙を突き、前後左右から呼応して攻めるべきだとする。
  • 敵が伏兵を用いて深謀を巡らし、旗を乱して混乱を装う場合は、要路を分けて塞ぎ、軽兵で挑発しつつ深追いせず、離れもしない対応で敵の謀を破るべきだとする。
  • 軍が敵の固い守りに阻まれ兵が帰還を望む状況(別記の軽地)では、精鋭を要路に伏せ、自軍が退くふりをして敵が追ってきたところを撃つべきだとする。

死地での戦術(突囲)

  • 敵地深くで幾重にも包囲され突破口がない状況では、堅固な守りを見せて力を隠し、静かに三軍へやむを得ない覚悟を示し、牛を殺し車を焼いて士卒をもてなし、糧食を焼き井戸を埋めて生への未練を断ち切らせ、将は策を残さず兵に死の覚悟を固めさせた上で、一斉に攻めかかるべきだとする。「困窮して謀らなければ窮し、窮しても戦わなければ滅びる」という言葉で締める。
  • 逆に自軍が敵を包囲する側(窮寇)である場合は、逃げ道をあえて開けて敵の戦意を殺ぎ、油断したところを撃てば大軍でも撃破できるとし、兵法にいう「死地にある敵は勇気があるため無理に対抗せず、糧道を断って包囲を維持し、弓弩で守りを固めるべきだ」という言葉を引く。

驕った敵・険阻に拠る敵への対処

  • 敵が勇猛で油断し驕っている場合は、こちらが低姿勢で相手を油断させ、敵が移動する隙を狙って前後を分断して撃つべきだとし、驕った敵とは正面から争わないことが要諦だとする。
  • 敵が山険に拠り食糧も十分で挑発に応じない場合は、要地に兵を分けて守り、敵情を密かに探り、利で誘い、樵採を禁じて兵糧を絶ち、敵が変化したところで隙を突いて奪うべきだとする。

将の資質

  • 将たる者の資質として智・仁・敬・信・勇・厳を挙げ、智で敵を挫き、仁で衆を懐かせ、敬で賢者を招き、信で賞罰を確実にし、勇で士気を高め、厳で命令を統一すると説く。これらが揃えば、変化に応じ、兵は力戦を思い、賢知が集まり陰謀に利があり、賞罰が徹底し士卒が力を尽くし、士気が高まり威令が倍加し、将の意のままに動かせるとする。

孫子占―旌旗と天候による吉凶

  • 出陣の際、旌旗が悠然と前を向けば「天送」と呼び速やかに攻めれば敵将を得られるとし、旌旗が雨のように垂れれば「天霑」で敵将を失う兆しとする。旌旗が乱れ方向が定まらなければ軍は戻れず、布陣の際に大雨が降れば「浴師」と呼び戦うべきでないとする。陣を張る際に赤い雲が現れれば先に陣を敷いた側が不利になるとし、行軍中に軍の前方で大風が起これば、その巻き方によって将の吉凶や糧食の得失を占うとする。

附録の按語(後世文献の引用と考証)

  • 『北堂書鈔』が引く『孫子兵法』の逸文として、貴んでも驕らせず、任せても専断させず、助けても隠さず、危うくしても恐れさせない、良将の心は璧玉のように汚してはならないという言葉を紹介する。
  • 『太平御覧』はこの言葉を諸葛亮『兵要』からの引用とする説を伝える。
  • また『孫子兵法秘要』からの「良将は飢えたように策を求めるからこそ、戦えば必ず勝ち攻めれば必ず克つ」という言葉を引くが、按語では『兵法秘要』は孫子本来の著作ではなく、魏の武帝(曹操)の『兵法接要』が同名で伝わった可能性を指摘する。
  • 『北堂書鈔』はさらに『孫子兵法論』から、文なくして治まらず武なくして乱を治められないとし、用兵の巧者には上略(智を伐つ)・中略(義を伐つ)・下略(勢を伐つ)の三略があるという言葉を引くが、按語ではこれも孫武自身の言葉らしくなく、後世の兵法家が孫子に仮託して著した書ではないかと注記し、参考として付す。