宋名臣言行錄外集卷六十四 李籲

出自と生い立ち

  • 李籲、字は端伯、緱氏の人。元祐中に祕書省校書郎となった。

人柄と学問

  • 伊川は「端伯は共に過ごした期間は長くないが、その操履はまだ見ていない。しかし才識穎悟なる点は自然と現れていた」と評した。
  • 明道の語録は李籲の伝えたものにのみ誤りがなく、他の記録者は言葉に依拠しつつも改めることを恐れ、一二字を脱忘すればまるで別のものになってしまうところ、籲は言葉に拘泥せずその意を得て正確に記録できたと伝わる。

史論

  • 籲が没した際、伊川は「我ら兄弟が道学を唱えて世を驚かせ疑わせた時、学者に視効させ信従させる力となったのは君と劉質夫(絢)であった。二人は才器相似て志尚一つ、遠く大成を期し得た人材であったのに、半年の間に相継いで没した。道を憂う者少なく、学を伝えることの難しさを悲しむ」と哭した。呂與叔(大臨)も「君の胸中の閎肆開発は孔門でいえば子貢(賜)の達なるがごとし」と哭した。朱熹は「劉質夫・李端伯・呂與叔らの造詣は特に深く、得るところ特に粋であった」と評した。