宋書卷七十九 列傳第三十九 海陵王休茂
海陵王休茂
海陵王休茂、文帝の第十四子。孝建二年(455年)十一歳で海陵王・食邑二千戸。大明二年(458年)使持節都督雍梁南北秦四州郢州之竟陵随二郡諸軍事・北中郎将・寧蛮校尉・雍州刺史、左将軍に進み増邑千戸。司馬庾深之が府事を代行し休茂の性急さを常に諫めていたことに休茂は憤りを抱いていた。側近の張伯超が主帥の叱責を恐れ「主帥は殿下の過失を密告しようとしている」と讒言し、休茂を挙兵に唆した。休茂は夜、伯超・黄靈期・蔡捷世・滕穆之・王寳龍・来承道・彭叔児・魏公子・陳伯児・張駟奴・楊興・劉保余雙らと共に典籤楊慶・司馬庾深之・典籤戴雙を殺し兵を集めて自ら車騎大将軍・開府儀同三司・加黄鉞と称した。侍読博士荀銑の諫言を斥けて殺し、伯超が軍政を専断して殺戮を重ねた。休茂側近の曹万期は休茂を斬ろうとして自らも殺され、諮議参軍沈暢之らが城門を閉じて拒んだが、義成太守薛継考が休茂に力を尽くして攻城、暢之らを斬った。しかしその日のうちに参軍尹𤣥慶が挙兵し休茂を生禽、斬首した。時に十七歳。母・妻は自殺、同党も悉く誅せられた。庾深之は乱の当日に殺され、冠軍将軍・雍州刺史を追贈された。荀銑は員外散騎侍郎、曹万期は始平太守を追贈された。