宋書卷二十八 志第十八 符瑞中
麒麟
麒麟は仁の獣である。牡を麒、牝を麟という。孕んだ獣の腹を裂かず、卵を割ることがなければ現れる。体は麕(のろ鹿)に似て牛の尾、狼の首、一角をもち、黄色で馬の足を持つ。仁を内に含み義を戴き、鳴き声は音律にかない、歩みは規矩にかなう。生きた虫を踏まず、生きた草を折らず、不義の物を食べず、濁った池の水を飲まず、落とし穴に落ちず、網にかからない。明王の動静に儀礼が備われば現れる。牡の鳴き声を逝聖、牝の鳴き声を歸和、春に鳴くのを扶幼、夏に鳴くのを養綏という。 - 漢武帝元狩元年(前122年)10月、雍に行幸し五畤を祀った際、白麟を得た。 - 漢武帝太始2年(前95年)3月、白麟を得た。 - 漢章帝元和2年(85年CE)以来章和元年(87年CE)まで3年間で麒麟51頭が郡国に現れた。 - 漢安帝延光3年(124年CE)7月、麒麟が潁川陽翟に現れた。同年8月戊子にも潁川陽翟に現れた。 - 延光4年(125年CE)正月壬午、麒麟が東郡濮陽に現れた。 - 漢献帝延康元年(220年CE)、麒麟が10頭郡国に現れた。 - 呉孫権赤烏元年(238年CE)8月、武昌で麒麟が見られたと報告され、建業でも白麟が見られた。 - 晋武帝泰始元年(265年CE)12月、麒麟が南郡枝江に現れた。 - 晋武帝咸寧5年(279年CE)2月甲午、白麟が平原鬲県に現れた。同年9月甲午には麒麟が河南陽城に現れた。 - 晋武帝太康元年(280年CE)4月、白麟が頓丘に現れた。 - 晋愍帝建興2年(314年CE)9月丙戌、麒麟が襄平に現れ、州刺史崔毖が報告した。 - 晋元帝大興元年(318年CE)正月戊子、麒麟が豫章に現れた。 - 晋成帝咸和8年(333年CE)5月己巳、麒麟が遼東に現れた。
鳳凰
鳳凰は仁の鳥である。孕んだ獣の腹を裂かず卵を割ることがなければ現れ、時に翔け時に集う。雄を鳯、雌を凰という。蛇の頭、燕の顎、亀の背、鼈の腹、鶴の頸、鶏の嘴、鴻の前身、魚の尾、青い頭、そろった翼をもち、鷺のように立ち鴛鴦のように思う。頭に徳を戴き背に仁を負い、項に義を荷い胸に信を抱く。足は正しく踏み尾は武を帯びる。小さな声は鍾に、大きな声は鼓にかない、頸を伸ばし翼を奮い五色の光を備えて興る。八風を興し時雨を降らせ、食は節あり飲は儀あり、往くには文があり来るには嘉がある。必ず場所を択んで飲み、みだりに下りない。雄の鳴き声を節節、雌を足足、朝の鳴き声を發明、昼を上朔、夕を歸昌、黄昏を固常、夜を保長という。その楽しむさまは徘徊とし、その声は雍雍喈喈とする。鳳凰のみがよく万物を究め天の福を通じ、百状を象り王道に達し、五音を成し九徳を備え文武を正し天下を治めうる。鳳の現れ方は、一羽なら過ぎるだけ、二羽なら飛翔し、三羽なら集まり、四羽なら春秋の間留まり、五羽なら終身留まるとされる。 - 漢昭帝始元3年(前84年)10月、鳳凰が東海に集まり、使いを遣わしその場所を祀った。 - 漢宣帝本始元年(前73年)5月、鳳凰が膠東に集まった。本始4年(前70年)5月には北海に集まった。 - 漢宣帝地節2年(前68年)4月、鳳凰が魯に集まり群鳥がこれに従った。 - 漢宣帝元康元年(前65年)3月、鳳凰が泰山・陳留に集まった。元康4年(前62年)、南郡で威鳯を得た。 - 漢宣帝神爵2年(前60年)2月、鳳凰が京師に集まり群鳥が万羽単位で従った。神爵4年(前58年)春にも京師に集まり、同年10月には11羽が杜陵に、12月には上林に集まった。 - 漢宣帝甘露3年(前51年)2月、鳳凰が新蔡に集まり、群鳥が四方に並んで鳳凰に向かって立ち、万羽に及んだ。 - 漢光武帝建武17年(41年CE)10月、鳳凰5羽(高さ8・9尺、五色の羽毛)が潁川郡に集まり、群鳥が並んで従い数頃の地を覆い、17日留まって去った。 - 漢章帝元和2年(85年CE)以来章和元年(87年CE)まで3年間で鳳凰139羽が郡国に現れた。 - 漢安帝延光3年(124年CE)2月、車駕が東巡した際、同月戊子に鳳凰が済南台県の丞霍収の家の樹上に集まり、台の長・嶷に帛15匹、収に20匹、尉にその半分、吏卒に人ごと3匹を賜り、鳳凰の通過した亭部は今年の田租を免じ、男子には爵二級を賜った。同年10月壬午、鳳凰が京兆新豊西界の槐樹に集まった。 - 漢桓帝元嘉元年(151年CE)11月、鳳凰が済陰已氏に現れた。 - 漢霊帝光和4年(181年CE)秋、五色の大鳥が新城に現れ群鳥が従い、民はみな鳳凰と呼んだ。 - 漢献帝延康元年(220年CE)8月、石邑県が鳳凰の集まりを報告し、また郡国13ヶ所が鳳凰出現を報告した。 - 呉孫権黄武5年(226年CE)7月、蒼梧で鳳凰出現の報告があった。孫権黄龍元年(229年CE)4月、樊口・武昌でともに鳳凰出現の報告があった。 - 呉孫亮建興2年(253年CE)11月、大鳥5羽が春申に現れた。 - 呉孫皓宝鼎4年(269年CE)正月、西苑で鳳凰の集まりが報告された。 - 晋武帝泰始元年(265年CE)12月、鳳凰が上党高都に、鳳凰2羽が河南山陽に、鳳凰3羽が馮翊下邽に現れた。 - 晋穆帝升平4年(360年CE)2月辛亥、鳳凰が9羽の子を連れて鄖郷の豊城に現れ、12月甲子にも豊城に現れ多くの鳥が従った。升平5年(361年)4月己未、鳳凰が沔北に集まり、辛酉に至るまで百姓が集まり観た。 - 宋武帝永初元年(420年CE)7月戊戌、鳳凰が会稽山陰に現れた。 - 文帝元嘉14年(437年CE)3月丙申、大鳥2羽が秣陵の民王顗の園中の李樹に集まった。大きさは孔雀ほどで頭足は小さく毛羽は鮮明で文采五色、声音は諧調し、山鶏のような衆鳥が従い、三十歩ほど行くと東南に飛び去った。揚州刺史彭城王義康がこれを報告し、鳥の集まった永昌里を鳳凰里と改めた。孝武帝孝建元年(454年CE)正月庚申、鳳凰が丹徒渇賢亭に現れ、双鵠を引き衆鳥を従え、征虜将軍武昌王渾がこれを報告した。
神鳥
神鳥は赤神の精である。音声の清濁を聴き分け調和させるもので、赤色でありながら五采を備え、鶏の体で声は五音にかない、粛粛雝雝とし、喜べば鳴き舞い、幽隠に楽しみ、風俗が良ければ現れる。 - 漢宣帝五鳳3年(前55年)3月辛丑、神鳥が長楽宮東闕の樹上に集まり、また飛び下りて五色の光を発し十余刻留まった。 - 漢章帝元和年間、神鳥が郡国に現れた。
龍
黄龍は四龍の長である。池を漉って漁をしなければ徳が淵泉に至り、黄龍が池に遊ぶ。高くも低くも、細くも大きくも、幽にも冥にも、短くも長くもなれ、存亡も自在である。赤龍は河図(黄河から出る図)に象徴され、王者の徳が淵泉に至れば河から龍図が出る。 - 漢恵帝2年(前193年)正月癸酉、両龍が蘭陵の人家の井戸中に現れた。 - 漢文帝15年(前165年)春、黄龍が成紀に現れた。 - 漢宣帝甘露元年(前53年)4月、黄龍が新豊に現れた。 - 漢成帝鴻嘉元年(前20年)冬、黄龍が真定に現れた。永始2年(前15年)癸未、黄龍が東莱に現れた。 - 漢光武帝建武12年(36年CE)6月、黄龍が東阿に現れた。 - 漢章帝元和年間から章和元年(87年CE)まで3年間、黄龍44頭が郡国に現れた。元和中、青龍・白龍も郡国に現れた。 - 漢安帝延光元年(122年CE)8月辛卯、黄龍が九真に現れた。延光3年(124年CE)9月辛亥、黄龍が済南歴城に現れ、12月乙未に琅邪諸県に現れた。延光4年(125年CE)正月壬午、黄龍2頭が東郡濮陽に現れた。 - 漢桓帝建和元年(147年CE)2月、黄龍が沛国譙に現れた。元嘉2年(152年CE)8月、黄龍が済陰句陽・金城允街に現れた。永光元年(167年CE)8月、黄龍が巴郡に現れた。 - 漢献帝延康元年(220年CE)3月、黄龍が譙に現れ、また郡国13ヶ所が黄龍出現を報告した。 - 魏明帝景初元年(237年CE)2月壬辰、山茌県が蜀に黄龍が現れたと報告した。魏明帝青龍元年(233年CE)正月甲申、青龍が郟の摩陂の井に現れ、帝は群臣とともにこれを観、画工に命じて写し取らせたが、龍は潜んで再び見えなかった。 - 魏少帝正元元年(254年CE)10月戊戌、黄龍が鄴の井中に現れた。魏少帝甘露元年(256年CE)正月辛丑、青龍が軹県の井中に2つ現れ、6月にも元城県界の井中に現れた。甘露2年(257年CE)2月、青龍が温県の井中に現れた。甘露3年(258年CE)8月甲戌、黄龍・青龍がともに頓丘冠軍陽夏県の井中に現れた。甘露4年(259年CE)正月、黄龍2頭が寧陵県の井中に現れた。 - 魏元帝景元元年(260年CE)12月甲申、黄龍が莘県の井中に現れた。景元3年(262年CE)2月、青龍が軹県の井中に現れた。 - 劉備が即位する前、黄龍が武陽赤水に現れ9日で去った。 - 呉孫権黄武元年(222年CE)3月、鄱陽で黄龍出現が報告された。孫権黄龍元年(229年CE)4月、樊口・武昌でともに黄龍出現が報告され、権はこれにより改元して「黄龍」とし、旗を常に軍中に置き進退にその向きを見た。胡綜に命じて賦を作らせた。呉孫権赤烏5年(242年CE)3月、海塩県が県の井中に黄龍2頭出現を報告した。赤烏11年(248年CE)、雲陽で黄龍出現、また武陵でも黄龍2頭出現が報告され、色は輝いていた。 - 呉孫休永安4年(261年CE)9月、市山で白龍出現が報告された。永安5年(262年CE)7月、始新で黄龍出現、永安6年(263年CE)4月、泉陵で黄龍出現が報告された。 - 晋武帝泰始元年(265年CE)12月、青龍2頭が済陰定陶に、青龍が魏郡湯陰に、黄龍が河南洛陽の洛浜に、白龍2頭が太原祁に現れた。泰始2年(266年CE)7月壬午、黄龍が巴西閬中に現れた。泰始3年(267年CE)4月戊午、担当官が張掖太守焦勝の報告として、氐池県大柳谷口に青龍が現れたと上奏した。 - 晋武帝咸寧2年(276年CE)6月丙申、白龍2頭が新興九原の住民の井中に現れた。同年10月庚午、黄龍2頭が漢嘉霊関に現れた。同年11月癸巳、白龍2頭が須度支部に現れた。咸寧5年(279年CE)11月甲寅、青龍が京兆霸城に現れた。 - 晋武帝太康元年(280年CE)8月、白龍3頭が現れた。太康3年(282年CE)閏月己丑、白龍2頭が済南歴城に現れた。太康5年(284年CE)正月癸卯、青龍2頭が武庫の井中に現れ、帝自ら観に行った。太康6年(285年CE)9月、白龍が京兆隂槃に現れた。太康9年(288年CE)12月戊申、青龍1頭が魯国公丘の住民の井中に現れた。 - 晋恵帝元康7年(297年CE)3月己酉朔、成臯県の獄で龍が天に昇った。 - 宋武帝永初元年(420年CE)7月、青龍が義興陽羨に現れた。永初元年8月、青龍2頭が南郡江陵に現れた。 - 文帝元嘉13年(436年CE)9月己酉、会稽郡で西南に向け明け方大光明があり青龍が躍り雲を凌いで久しく後に消えた。呉興の諸所でも同日同様の光景が見られたと揚州刺史彭城王義康が報告した。元嘉21年(444年CE)10月己丑、永嘉永寧で黄龍が雲から下ったのが見られ、太守臧藝が報告した。元嘉25年(448年CE)5月丁丑、黒龍が玄武湖北苑に現れ、丞王世宗が報告した。同年5月戊戌、黒龍が玄武湖東北隈に現れ、揚州の野吏張立之が報告した。同年8月辛亥、黄龍が現れ会稽太守孟顗が報告した。同年、広陵で龍が湖水中から天に昇り、百姓皆これを見た。 - 孝武帝孝建2年(455年CE)7月癸丑、黄龍が石頭城外の水辺に現れ、護軍湘東王諱(劉彧)が報告した。孝建3年(456年CE)5月己未、龍が臨川郡に現れ、江州刺史東海王禕が報告した。 - 孝武帝大明元年(457年CE)5月癸亥、黒龍が晋陵占石村に現れ、村を津里と改めた。
霊亀・玄亀書
霊亀は神亀である。王者の徳沢が清らかに行き渡り、山川に漁猟を控える時なら現れる。五色鮮明で、三百歳には蓮の葉の上に遊び、三千歳には巻耳の上に常に遊ぶという。存亡を知り吉凶に明るく、禹が宮室を質素にしたとき霊亀が現れたという。玄亀書は天の符である。王者の徳が淵泉に至れば雒水から亀書が出る。 - 魏文帝の初め、神亀が霊池に出た。 - 呉孫権の時、霊亀が会稽章安に出た。 - 魏元帝咸熙2年(265年CE)2月甲辰、朐䏰県が霊亀を得て献上した。 - 晋長沙王乂は、同母兄楚王瑋の事件に連座して常山に移封され、後に旧封に復した。常山にあったとき井戸を掘り地下四丈で白玉(方三、四尺)を得、玉の下から大石が出て、その中に亀(長さ二尺余り)がいた。当時の人はこれを国を復す祥とした。 - 宋文帝元嘉19年(442年CE)4月戊申、白亀が呉興餘杭に現れ、太守文道恩が献上した。元嘉20年(443年CE)4月辛卯、白亀が呉興餘杭に現れ、揚州刺史始興王濬が報告した。元嘉24年(447年CE)10月甲午、揚州刺史始興王濬が白亀を獲て献上した。 - 孝武帝大明3年(459年CE)3月戊子、毛亀が宣城広徳に現れ、太守張辨が献上した。大明4年(460年CE)6月壬寅、車駕が耤田に幸した際、白亀が千畝の地に現れ、尚書右僕射劉秀之が献上した。大明7年(463年CE)8月乙未、毛亀が新安王子鸞の邸に現れ、獲て献上した。 - 明帝泰始2年(466年CE)8月丙辰朔、四眼亀が会稽に現れ、会稽太守巴陵王休若が献上した。同年8月丙寅、六眼亀が東陽長山に現れ、文様が卦の爻のようで、太守劉勰が献上した。泰始6年(470年CE)9月己巳、八眼亀が呉興故鄣に現れ、太守褚淵が献上した。 - 明帝泰豫元年(472年CE)10月壬戌、義興陽羨県で毛亀が獲られ、太守王藴が献上した。
龍馬・騰黄
龍馬は仁の馬である。河水の精で、高さ八尺五寸、頸が長く翼を持ち、傍らに垂れた毛があり、鳴き声は九音(一説に九哀)とされる。騰黄は神馬である。色は黄。王者の徳が四方を治めれば白馬朱鬛が出る。王者が賢良を任用すれば澤馬が現れ、王者が百姓を労えば夏馬(駵黒身白鬛尾)・殷馬(駱白身黒鬛尾)・周馬(騂赤身黒鬛尾)が至るとされる。 - 漢章帝元和年間、神馬が郡国に現れた。 - 晋懐帝永嘉6年(312年CE)2月壬子、神馬が南城門で鳴いた。 - 晋孝武帝太元14年(389年CE)6月甲申朔、寧州刺史費統が、管轄する晋寧の滇池県に周回二百余里の河があり、6月28日辛亥に神馬2頭(一白一黒)が河中から突如出現、岸から百歩の距離を、県民董聰が目撃したと報告した。
白象
白象は人君が自らを養い節度あるとき現れる。 - 宋文帝元嘉元年(424年CE)12月丙辰、白象が零陵洮陽に現れた。元嘉6年(429年CE)3月丁亥、白象が安成安復に現れ、江州刺史南譙王義宣が報告した。 - 漢武帝元狩2年(前121年)3月、南越が馴象を献上した。
白狐・赤熊・九尾狐
白狐は王者に仁智あれば至る。赤熊は佞人を遠ざけ姦猾を鎮めれば国に入る。九尾狐は文王がこれを東夷から得て帰った故事による。 - 晋成帝咸康8年(342年CE)10月、燕王慕容皝が国内に白狐が現れたと上言した。 - 宋文帝元嘉20年(443年CE)12月、白熊が新安歙県に現れ、太守到元度が献上した。 - 漢章帝元和年間、九尾狐が郡国に現れた。 - 魏文帝黄初元年(220年CE)11月甲午、九尾狐が甄城に、また譙にも現れた。
白虎・獣類の瑞
三角獣は先王の法度が修まれば至る。一角獣は天下が平定されれば至る。六足獣は王者が謀を衆庶に及ぼせば至る。比肩獣は王者の徳が矜寡(孤独者)に及べば至る。獬豸は曲直を知り、獄訟が公平であれば至る(いずれも実物の記録は闕)。白虎は王者が暴虐を為さなければ現れ、仁にして物を害さない。 - 漢宣帝元康4年(前62年)、南郡で白虎を得た。 - 漢章帝元和2年(85年CE)から章和元年(87年CE)まで3年間、白虎29頭が郡国に現れた。 - 漢安帝延光3年(124年CE)8月戊子、白虎2頭が潁川陽翟に現れた。 - 漢献帝延康元年(220年CE)4月丁巳、饒安県が白虎出現を報告し、また郡国27ヶ所が白虎出現を報告した。 - 呉孫権赤烏6年(243年CE)正月、新都で白虎出現が報告された。赤烏11年(248年CE)5月、鄱陽で白虎(仁)が報告された。 - 晋武帝泰始元年(265年CE)12月、白虎が河南陽翟に、また弘農陸渾に現れた。泰始2年(266年CE)正月己亥、白虎が遼東楽浪に、辛丑には天水西に現れた。 - 晋武帝咸寧3年(277年CE)2月乙丑、白虎が沛国に現れた。太康元年(280年CE)8月、白虎が永昌南罕に現れた。太康4年(283年CE)7月丙辰、白虎が建平北井に現れた。太康10年(289年CE)10月丁酉、白虎が犍為に現れた。 - 晋成帝咸和8年(333年CE)5月己巳、白虎が新昌県に現れた。 - 晋簡文帝咸安2年(372年CE)3月、白虎が豫章南昌県西郷石馬山前に現れた。 - 晋孝武帝太元14年(389年CE)11月辛亥、白虎が豫章郡に現れた。太元19年(394年CE)2月、行鞏令劉啓期・行温令趙邳が、白虎が頻繁に現れたと報告した。 - 晋安帝隆安5年(401年CE)11月、襄陽で騶虞が新野に現れたと報告された。 - 宋武帝永初元年(420年CE)8月癸巳、白虎が枝江に現れた。少帝景平元年(423年CE)10月、白虎が桂陽耒陽に現れた。文帝元嘉19年(442年CE)10月、白虎が弋陽期思の二県に現れ、南豫州刺史武陵王諱(劉駿)が報告した。元嘉25年(448年CE)2月己亥、白虎が武昌に現れ、太守蔡興宗が報告した。同年11月丁丑、白虎が蜀郡に現れ、赤虎2頭が先導した様子を益州刺史陸徽が報告した。元嘉26年(449年CE)4月戊戌、白虎が南琅邪半陽山に現れ、虎2頭が付き従う様子を太守王僧達が報告した。 - 孝武帝孝建3年(456年CE)3月壬子、白虎が臨川西豊に現れた。
白麞・白麂
白狼は宣王がこれを得て犬戎が服した(記録は闕)。白麞は王者の刑罰が理にかなえば至る。 - 晋武帝咸寧元年(275年CE)4月丙戌・乙卯、白麞が琅邪に現れ、趙王倫が献上した。咸寧3年(277年CE)7月壬辰、白麞が魏郡に現れた。太康3年(282年CE)8月、白麞が梁国蒙に現れ、梁相解隆が献上した。太康5年(284年CE)9月己酉、白麞が義陽に現れた。太康7年(286年CE)5月戊辰、白麞が汲郡に現れた。 - 晋成帝咸和9年(334年CE)5月癸酉、白麞が呉国呉県に現れ、内史虞潭が献上した。晋穆帝永和元年(345年CE)8月、白麞が呉国呉県西界包山に現れ献上された。永和8年(352年CE)12月、白麞が丹陽永世に現れ、令徐該が献上した。永和12年(356年CE)11月庚午、白麞が梁郡に現れ、太守劉遂が献上した。 - 晋安帝隆安5年(401年CE)11月、白麞が荆州に現れ、荆州刺史桓玄が報告した。 - 宋少帝景平元年(423年CE)5月癸未、白麞が義興陽羨に現れ、太守王準之が献上した。景平2年(424年CE)6月、白麞が南郡江陽に現れ、太守王華が太祖(文帝)にこれを献じ、太祖は入って皇統を継いだ際これを吉祥とした。 - 文帝元嘉5年(428年CE)4月乙巳、白麞が汝南武津に現れ、太守鄭拠が献上した。元嘉12年(435年CE)正月、白麞が東莱黄県に現れ、青冀州刺史王方回が献上した。元嘉19年(442年CE)5月、山陽で張休宗が白麞を獲、南兗州刺史臨川王義慶が献上した。元嘉20年(443年CE)8月、白麞が江夏安陸に現れ、内史劉思考が献上した。元嘉25年(448年CE)2月己丑、白麞が淮南に現れ、太守王休が献上した。同年4月戊午、白麞が南琅邪に現れ、太守王遠が献上した。同年5月辛未朔、華林園で白麞が二子を生み共に白く、園丞梅道念が報告した。元嘉26年(449年CE)5月丙戌、白麞が馬頭に現れ、豫州刺史南平王鑠が献上した。元嘉27年(450年CE)正月己丑、白麞が済陰に現れ、徐州刺史武陵王諱が報告した。同年4月癸丑、華林園で白麞が一頭の白子を生み、園丞梅道念が報告した。元嘉29年(452年CE)6月壬戌、白麞が晋陵暨陽に現れ、南徐州刺史始興王濬が献上した。 - 孝武帝孝建3年(456年CE)6月癸巳、白麞が広陵に現れ、南兗州が献上した。大明元年(457年CE)7月丁丑、白麞が東莱曲城県に現れ献上された。大明2年(458年CE)正月壬戌、白麞が山陽に現れ、内史程天祚が献上した。同年2月辛丑、白麞が済北に現れ、太守殷孝祖が献上した。大明5年(461年CE)9月己巳、白麞が南陽に現れ、雍州刺史永嘉王子仁が献上した。大明6年(462年CE)4月戊辰、白麞が滎陽に現れ、湘州刺史建安王休仁が献上した。大明7年(463年CE)正月庚寅、白麞が南陽に現れ、荆州刺史臨海王子頊が献上した。同年6月己巳、白麞が武陵臨沅に現れ、太守劉衍が献上した。同年9月癸未、白麞が南陽に現れ、雍州刺史劉秀之が献上した。 - 明帝泰始3年(467年CE)5月癸酉、白麞が南東海丹徒に現れ、南徐州刺史桂陽王休範が献上した。同年5月己卯、白麞が北海都昌に現れ、青州刺史沈文秀が献上した。泰始5年(469年CE)正月癸卯、白麞が汝陰楼煩に現れ、豫州刺史劉勔が献上した。 - 明帝泰豫元年(472年CE)10月壬戌、白麞が義興国山に現れ、太守王藴が献上した。 - 後廃帝元徽元年(473年CE)正月甲午、白麞が海陵寧海に現れ、太守孫嗣之が献上した。 - 文帝元嘉23年(446年CE)5月甲寅、東宮隊の白従陳超が黒麞を肥如県で獲、皇太子が献上した。同年10月辛巳、東宮将魏栄が青麞を秣陵で獲た。元嘉10年(433年CE)12月、営城県民成公会が広陵高郵界で白麞・麂を獲て献上した。 - 孝武帝大明元年(457年CE)2月己亥、白麂が会稽諸暨県に現れ、獲て献上された。銀麂は刑罰が民に共通し不正を犯さなければ至る(記録は闕)。
赤兎・比翼鳥・赤雀
赤兎は王者の徳が盛んであれば至る。比翼鳥は王者の徳が高遠に及べば至る(いずれも記録は闕)。赤雀は周文王の時、丹書を銜えて至った故事による。 - 晋愍帝建興3年(315年CE)4月癸酉、赤雀が平州の府舎に現れた。 - 宋文帝元嘉20年(443年CE)5月、赤雀が南平郡の府に集まり、内史臧綽が報告した。 - 孝武帝孝建元年(454年CE)5月己亥、臨沂県の魯尚斯が城壁上で軍人として赤雀を獲、太傅仮黄鉞江夏王義恭が献上した。
福草・蒼烏
福草は宗廟が粛然であれば生じる(記録は闕)。蒼烏は賢君が万民に孝慈の行いを修め、殺生を好まなければ来る。 - 宋孝武帝大明元年(457年CE)5月丁丑、蒼烏が襄陽県に現れた。大明2年(458年CE)4月甲申、蒼烏が襄陽に現れ、雍州刺史王玄謨が献上した。
甘露
甘露は王者の徳が大和の気に至り盛んであれば降る。柏が甘露を受けるのは、王者が耆老を敬えばであり、竹葦が甘露を受けるのは、王者が賢を尊び老を愛し細微を失わなければである。 - 漢宣帝元康元年(前65年)3月、甘露が未央宮に降った。神爵2年(前60年)2月、甘露が京師に降った。神爵4年(前58年)春も同様。五鳳2年(前56年)正月、甘露が京師に降った。 - 漢成帝元延4年(前9年)3月、甘露が京師に降った。 - 漢光武帝建武中元元年(56年CE)5月、郡国が甘露降下を報告し、甘露を飲んだ痼病者はみな癒えたが、片目の者と足の悪い者だけは治らなかった。 - 漢明帝永平17年(74年CE)5月戊子夜、帝は光武帝・光烈皇后の夢を見、目覚めて悲しみ眠れずにいた。翌朝陵に上ると百官・胡客がみな集まり、太常丞が「陵の木の葉に甘露があった」と上言し、帝は百官に甘露を採らせ、自ら御牀に伏し太后の粧器を見て涙を流し、器中の脂澤の具を取り換えさせた。同年春、甘露が引き続き京師に降った。 - 漢章帝元和年間、甘露が郡国に降った。 - 漢安帝延光3年(124年CE)4月丙戌、甘露が沛国豊に降った。同年7月、甘露が左馮翊頻陽に降った。 - 漢桓帝延熹3年(160年CE)4月、甘露が上郡に降った。永康元年(167年CE)8月、甘露が巴郡に降った。 - 魏文帝の初め、郡国37ヶ所が甘露降下を報告した。魏少帝甘露元年(256年CE)5月、鄴・上洛がともに甘露降下を報告した。魏元帝咸熙2年(265年CE)4月、南深澤県が甘露降下を報告した。 - 呉孫権黄武初め、建業で甘露降下が報告された。黄武2年(223年CE)5月、曲阿で甘露降下が報告された。呉孫権赤烏元年(238年CE)3月、零陵で甘露降下が報告された。赤烏9年(246年CE)4月、武昌で甘露降下が報告された。呉孫権嘉禾5年(236年CE)3月、武昌の礼賓殿に甘露が降ったと報告された。呉孫皓甘露元年(265年CE)4月、蒋陵で甘露降下が報告された。 - 晋武帝泰始10年(274年CE)4月乙亥、甘露が西河離石に降った。晋武帝咸寧元年(275年CE)4月丙戌、甘露が張掖に降った。同年5月戊午、清河繹幕に降った。同年9月、太原晋陽に降った。咸寧2年(276年CE)5月戊子、玄莵郡治に降った。咸寧3年(277年CE)6月戊申、巴郡南充国に降った。 - 晋武帝太康5年(284年CE)3月乙卯、甘露が東宮に降った。太康7年(286年CE)4月、京兆杜陵に降った。同年5月、魏郡鄴に降った。 - 晋恵帝元康4年(294年CE)5月、甘露が楽陵郡に降った。 - 晋愍帝建興元年(313年CE)6月、甘露が西平県に降った。建興3年(315年CE)8月己未、新昌県に降った。 - 晋愍帝建武元年(317年CE)6月丁丑、甘露が寿春に降った。 - 晋元帝大興3年(320年CE)4月、甘露が琅邪費に降った。 - 晋明帝泰寧2年(324年CE)正月、巴郡が甘露降下を報告した。 - 晋成帝咸和4年(329年CE)4月、甘露が武昌郡の閤前の柳樹に降り、太守詡が報告した。咸和6年(331年CE)3月、寧州城内の北園の榛桃樹に降り、刺史が報告した。咸和7年(332年CE)4月癸巳、京邑に降り、揚州刺史王導が報告した。咸和8年(333年CE)4月癸卯、廬江襄安県の蒋胄の家に降った。同日、宣城宛陵県の須里にも降った。咸和9年(334年CE)4月甲寅、呉国銭唐県右郷康巷の柳樹に降った。同年12月丙辰、建平陵に降り、丁酉には武平陵に降った。 - 晋成帝咸康元年(335年CE)4月癸卯、甘露が西堂の桃樹に降った。咸康2年(336年CE)3月甲戌、鬱林城内に降った。同年4月、西堂・尚書都座の桃樹に降り、また会稽永興県に降って衆官が祝賀した。戊午には会稽山陰県、庚申には呉興武康県にも降った。咸康3年(337年CE)4月戊午、殿後の桃李樹に降り、5月には義興陽羨県の柞樹(東西14歩・南北15歩の範囲)に降った。咸康7年(341年CE)4月丙子、彭城王紘邸内に降り衆官が祝賀した。 - 晋穆帝永和元年(345年CE)3月、甘露が廬江郡内の桃李樹に降り、太守永が報告した。永和5年(349年CE)11月、太常劉邵が上言した崇平陵令王昂の奏に、陵内の玄宮前殿に甘露が降ったとある。同年12月己酉、丹陽湖孰県西界の劉敷の墓の松樹に降り、県令王恬が報告し衆官が祝賀した。 - 晋簡文帝咸安2年(372年CE)正月、随郡灄陽県界の桑木に降り、十余里にわたって凝った。 - 晋孝武帝太元12年(387年CE)8月、寧州界内に降り、刺史費統が報告した。太元15年(390年CE)閏月、永平陵に降った。太元16年(391年CE)11月庚午、句陽県に降った。太元17年(392年CE)2月、南海番禺県の楊樹に降った。 - 晋安帝元興2年(403年CE)10月、武昌の王成基家の竹に降った。元興3年(404年CE)3月己卯、丹徒に降った。同年4月己酉、蘭台に降った。 - 宋武帝永初元年(420年CE)9月庚辰、丹徒峴山に降った。同年10月庚午、興寧・永寧二陵に降り、百里余りにわたった。 - 文帝元嘉3年(426年CE)閏正月己丑、呉興烏程に降り、太守王韶之が報告した。元嘉4年(427年CE)5月辛巳、斉郡西安臨朐城に降った。同年11月辛未朔、初寧陵に降った。同年11月己丑、南海熙安に降り、広州刺史江桓が報告した。元嘉8年(431年CE)5月、南海番禺に降った。元嘉9年(432年CE)11月壬子、初寧陵に降った。元嘉11年(434年CE)8月甲辰、費県の沙里に降り、琅邪太守呂綽が報告した。元嘉13年(436年CE)2月丁卯、上明巴山に降った。同年2月、呉県武康の董道益の家の園樹に降った。同年3月甲午、初寧陵に降った。元嘉16年(439年CE)3月己卯、広州城北門の楊樹に降り、刺史陸徽が報告した。元嘉17年(440年CE)4月丁丑、広陵永福里の梁昌季の家に降り、南兗州刺史江夏王義恭が報告した。同年、高平金郷の富民村(方三十里)に降り、徐州刺史趙伯符が報告した。同年11月乙酉、楽游苑に降った。元嘉18年(441年CE)5月甲申、丹陽秣陵の衛将軍臨川王義慶の園に降り、揚州刺史始興王濬が報告した。同年6月、広陵の孟玉秀の家の樹に降り、南兗州刺史臨川王義慶が報告した。元嘉19年(442年CE)5月丁卯、建康の司徒参軍督護顧俊之の宅の竹柳に降った。同年5月乙亥、馬頭済陽の宋慶之の園樹に降り、太守荀預が報告した。元嘉21年(444年CE)、益州府内の梨李樹に降り、刺史庾俊之が報告した。同年4月、楽游苑に頻繁に降った。同年4月、彭城綏輿里に降り、徐州刺史臧質が報告した。同年4月、義陽平陽に降り、太守龎秀之が報告した。元嘉22年(445年CE)11月辛巳、南郡江陵方城里に降り、荆州刺史南譙王義宣が報告した。同年12月丁酉、長寧陵に降り、陵令包誕が報告した。元嘉23年(446年CE)2月丁未、楽游苑に降り、苑丞張宝が報告した。同年9月丙子、長寧陵に降り、陵令華林が報告した。同年12月庚子、襄陽郡治に降り、雍州刺史武陵王諱が報告した。同年12月辛丑、楽游苑に頻繁に降り、苑丞何道之が報告した。元嘉24年(447年CE)2月己亥・庚子、景陽山に頻繁に降り、山監張績が報告した。同年2月己亥・癸卯、3月丙辰にも景陽山・華林園に降り、園丞陳襲祖が報告した。同年3月甲寅、潯陽松滋に降り、江州刺史廬陵王紹が報告した。同年4月癸未、潯陽松滋に降り、丙申には江州城内の桐樹に、丁酉には城北数里にも降り、江州刺史廬陵王紹が報告した。同年7月乙卯、京師に降り、揚州刺史始興王濬が報告した。同年7月、襄城治下の無量寺に降り、雍州刺史武陵王諱が報告した。同年10月甲午、魏興郡内に降り、太守韋寧民が報告した。元嘉23年から24年12月まで、甘露が細雪のように頻繁に降り、京都及び郡国のいたる所で見られ数えきれなかった。元嘉25年(448年CE)11月庚辰、南郡に降り、荆州刺史南譙王義宣が報告した。同年11月乙未、丹陽秣陵巌山に降った。元嘉26年(449年CE)3月壬午、景陽山華林園に降り、園丞梅道念が報告した。同年3月庚寅・癸巳、武昌に頻繁に降り、江州刺史廬陵王紹が報告した。同年4月甲辰・丙午・戊申、豫章南昌に頻繁に降り、太守劉思考が報告した。同年7月、南郡江陵に降り、荆州刺史南譙王義宣が報告した。元嘉27年(450年CE)4月乙卯・丙辰・丁巳、豫章南昌に頻繁に降り、戊午の午時には天気清明で彩雲が郡邑を覆い甘露が雲から降り、太守劉思考が報告した。同年5月甲戌、東海丹徒に降り、南徐州刺史始興王濬が報告した。元嘉28年(451年CE)2月戊辰、鍾山延賢寺に降り、揚州刺史廬陵王紹が報告した。同年2月壬午、徽音殿前の果樹に降った。同年2月、合歓殿後の香花諸草に降った。 - 孝武帝孝建元年(454年CE)3月丙辰、華林園に降った。孝建2年(455年CE)3月己酉、丹陽秣陵の中里路与之の墓樹に降った。同年3月辛亥、長寧陵の松樹に降った。同年3月、襄陽の民家の梨樹に降った。同年3月戊午、丹陽秣陵の尚書謝荘の園竹林に降り、荘が報告した。 - 孝武帝大明元年(457年CE)4月癸卯、華林園の桐樹に降った。大明3年(459年CE)3月己卯、楽游苑の梅樹に降った。同年3月戊子、宣城郡舎に降り、太守張辨が報告した。大明4年(460年CE)正月壬辰、初寧陵の松樹に降った。同年2月丙申、長寧陵の松樹に降った。同年2月乙巳、丹陽秣陵の龍山に降り、丹陽尹孔霊符が報告した。大明5年(461年CE)4月辛亥、呉興安吉に降り、歴陽王子頊が報告した。同年4月乙卯、呉興烏程に降り、歴陽王子頊が報告した。大明6年(462年CE)2月戊午、建康の霊燿寺及び諸苑園、秣陵龍山から婁湖に至る一帯、句容・江寧の二県にも降った。大明7年(463年CE)3月丙申、尋陽松滋に降り、太守劉朦が報告した。同年4月己未、荆州城内に降り、荆州刺史臨海王子頊が報告した。同年12月辛丑朔、呉興烏程に降り、令苟卞之が報告した。 - 明帝泰始2年(466年CE)4月己未、上林苑に降り、苑令徐承道が献上した。同年4月庚申、華林園に降り、園令臧延之が献上した。同年5月己未、丹陽秣陵県舎斎前の竹に降り、丹陽尹王景文が献上した。泰始3年(467年CE)11月庚申、晋陵に降り、太守王藴が報告した。同年11月癸亥、南東海丹徒建岡に降り、徐州刺史桂陽王休範が報告した。同年12月壬午、崇寧陵に降り、揚州刺史建安王休仁が報告した。 - 後廃帝元徽4年(476年CE)11月乙巳、呉興烏程に降り、蕭恵明が報告した。 - 順帝昇明2年(478年CE)12月、建康禁中里に降った。同年11月、南東海武進彭山に降り、太守謝朏が報告した。同年11月、呉興長城卞山に降り、太守王奐が報告した。
威香
威香は王者の礼が備われば常に生じるという(記録は闕)。