周書卷四十六 列傳第三十八 張元

張元

  • 張元、字は孝始。河北芮城の人。祖の成は仮平陽郡守、父の延儁は州郡功曹主簿を歴任、ともに純至で郷里に推された。元は謙謹で孝行あり経史に少し通じ仏典を精修、六歳の時祖父が夏の暑さで井戸で沐浴させようとしたが「衣は形を覆うもの、身を露わにできない」と固辞し杖で打たれても曲げず祖父を感心させた。南隣の杏の実を得ると持ち主に返し、捨てられた狗を拾い育て叔父に咎められても「生あるものの命を重んじるべき」と説き許され、後にその狗の母が死んだ兎を届けたという。十六歳の時祖父が三年間失明し元は日夜憂泣し仏経を読み、薬師経で盲人が視力を得た話を読み七僧を招き七日七夜燈明・転経を行い自らの命で祖父の目を代わろうと祈願、七日目の夜夢で老人が祖父の目を金鎞で治す夢を見て三日後祖父の目が実際に治った。祖父の病臥二年間衣冠を解かず看護し、祖父没時は号泣し絶えて蘇生、父の喪でも三日水漿を絶ち郷里に驚嘆された。県博士楊軌ら二百余人が上表し門閭を表彰された。

史論

  • 史臣は評す。李棠・柳檜はともに危難に臨んで屈せず死を帰するが如く見た、その壮志貞情は青松白玉に比すべきものである。しかし檜には恩賞が厚く棠には礼が薄く終わった点で周の政には偏りがあった。雄亮は父の讎を戴く痛みを、叔毗は兄弟の情の悲しみを負い、白刃を執って顧みず輦轂の下で家冤を雪いだ、その死に臨む志節は容易なことではない。荆可・秦族の輩は隴畝に生まれ師の教えなくして心のままに孝友を成し、理に従って礼節を実践した、世がみなこのようであれば伏羲・神農の世も遠くない。誠が天地を感じさせ孝が神明に通じた例は張元に見られる。