熊安生
- 熊安生、字は植之。長楽阜城の人。若くして学を好み勵精、陳逹に三伝を、房虬に周礼を学び大義に通じ、後に徐遵明に長年師事、東魏天平中李寶鼎に礼を受け五経に博通、特に三礼を専門に教授し弟子は遠方より千余人に及んだ。図緯を討論し先儒の未発を明らかにした。斉河清中陽休之の推挙で国子博士。周礼を朝廷が施行する中、疑滞数十条を解き得る者がなく、天和三年斉との通好使節尹公正が周礼を論じられず安生が対応、公正の質問に「礼義は弘深、順序立てて陳べよう」と一々説き明かし公正を深く感服させ、髙祖にもその名が伝わり重んじられた。髙祖の鄴入城時安生は自ら家の門を掃き「周帝は道を重んじ儒を尊ぶゆえ必ず訪れる」と述べ、果たして髙祖が訪れ手を執り同座させ「未だ兵を止められぬのが恥」と言うと安生は「黄帝にも阪泉の戦あり、況んや天罰の行いをや」と答え、賦役軽減策への諮問にも武王の故事を引き応え、髙祖の斉平定の功を武王に比され「陛下の兵は血刃せず、聖略はより優れる」と評し髙祖を大いに悦ばせ帛三百匹・米三百石・宅一区・象笏・九環金帯等を賜与、安車駟馬で入朝、宣政元年露門学博士・下大夫、八十余歳で致仕しまもなく卒した。門人に馬榮伯・張黒奴・竇士榮・孔籠・劉焯・劉炫らがあり、周礼義疏・礼記義疏・孝経義疏を著し世に行われた。