樊深
- 樊深、字は文深。河東猗氏の人。早く母を喪い継母に孝を尽くし、若くして書を負い三河に師事し五経を昼夜学んだ。魏永安中従軍の功で蕩冦将軍、伏波・征虜将軍・中散大夫。呉子(吾丘子)の書を読み侍養のため帰郷、魏孝武帝西遷後樊王二姓が挙義し東魏に誅され父の保周・叔父の歓周も害され、深は難を逃れ崖から落ち断食するも継母を思い施しの餅を食べず母に届けた。改姓潜伏し汾晋間で天文・算暦を学ぶも密告され河東に囚われたが韓軌の長史張曜がその儒学を重んじ匿った。太祖の河東平定後父・叔父に南郢州刺史・儀同三司を追贈され、父の墓を自ら築いた。于謹の府参軍・館での子孫教授、撫軍将軍・銀青光祿大夫、開府属・従事中郎、于謹が司空となり諮議、大統十五年下邽県事代行、太祖の東館設立で博士となり将士の子弟に教授、漢魏以来の諸家説を引き詳細に講義したため理解されず「門戸多く難解」と譏られたが博識ぶりは推賞された。老いても鞍上で読書を続け落馬し肢体を損じても改めなかった。国子博士、万紐于氏を賜与、六官制で太学助教から博士、車騎大将軍・儀同三司、天和二年県伯中大夫・開府儀同三司、建德元年致仕を願い許され、朝廷の疑議に度々召され諮問を受けた。後病で卒した。経学のほか諸史・蒼雅篆籕・陰陽卜筮にも通じたが弁舌が拙く当時称されなかった。孝経喪服問疑・七経異同説・義経畧論并月録などを著し世に行われた。