周書卷四十四 列傳第三十六 扶猛

扶猛

  • 扶猛、字は宗畧。上甲黄土の人。その種落は獣蠻と号し世々渠帥。梁大同中直後から持節・厲鋒将軍・青州刺史、上庸新城二郡守・南洛北司二州刺史・宕渠県男。侯景の乱で自守にとどまったが、魏大統十七年王雄の魏興平定に伴い衆を率い降り、太祖により車騎大将軍・儀同三司・散騎常侍・宕渠県男(爵復帰)、羅州刺史として二郡を割いて授けられた。賀若敦の信州南討に部下千人を率い従い、人跡未踏の険路を越え白帝城を攻略、譙淹の水軍を撃破し開府儀同三司。信州蠻の反乱も賀若敦と平定、蠻帥文子榮を汶陽で破り臨江県公・食邑千戸、武成中陳将侯瑱の湘州侵攻に賀若敦と赴援し武州刺史、羅州刺史に復し、保定三年綏州刺史、衛公直の陳将華皎救援では大軍不利の中猛の部隊のみ全う、田𢎞の漢南諸蠻討伐にも従軍し前後十余戦すべて功あり、大将軍に進み後病で卒した。