周書卷四十三 列傳第三十五 魏𤣥

魏𤣥

  • 魏𤣥、字は僧智。任城の人。六世祖の休は晋に仕え魯郡守、永嘉の乱で江左に南遷。父の承祖は魏景明中梁より帰魏し新安に居した。𤣥は若くして慷慨で膽略あり、普泰中奉朝請、梁との戦に従軍し永安初征虜将軍・中散大夫。魏孝武帝西遷・東魏北遷の混乱の中、鄉曲の兵を率い関南で挙義、韋法保と共に東魏司徒高敖曹と関口で戦い、独孤信の入洛後は行台楊琚に属し馬渚を防ぎ高敖曹と再戦、以後鄉兵を率い東魏に抗すこと十余戦皆功あり。邙山の役で大軍不利となり宜陽・洛州が東魏の手に落ちると崤東の義軍は動揺したが、𤣥の母・弟は宜陽にあり、忠孝両全ならずとして義徒を率い関南に還鎮、太祖の手書で労われ洛陽令・広宗県子・食邑四百戸。十三年開府李義孫と伏流城・孔城を攻略し伏流に移鎮、十四年帥都督・東平郡守、河南郡守・大都督。十六年洛安の民雍方雋が郡を挙げて叛くと弘農・九曲・孔城・伏流四城の兵で討平、魏恭帝二年車騎大将軍・儀同三司、孝閔帝践阼で伯に進爵・食邑九百戸、保定元年蠻谷に移鎮、四年驃騎大将軍・開府儀同三司、閻韓に移鎮し尉遲迥の洛陽包囲に従軍。天和元年陜西総管尉遲綱の命で儀同宇文能・趙乾らと共に東魏洛州刺史独孤永業(衆二万余)を鹿盧交南で邀撃、𤣥自ら五騎で偵察中遭遇戦となり奮戦し永業を退けた。二年侯に進爵・白超防主、三年熊州刺史(政績あり民に慕われた)、四年和州刺史・伏流防主・公に進爵、五年斉将斛律明月の宜陽来襲を撃退し続けたが、後病で卒した。

史論

  • 史臣は評す。両国が覇を争い四方に戦塁が連なる中、鎮守の要衝は武臣に属した。李延孫らは勇略の姿で城塞防衛の任を受け、その働きは瓜を植え薬を贈った昔の賢者に及ばぬところがあるとしても、侮りを禦ぎ敵を退ける点では前代の名将にも肩を並べる。伊洛に兵を進め崤函を保つことができたのは、斉が西征の謀を退け周が東方への憂いを緩めた要因であり、皆この数将の力によるものである。