周書卷四十三 列傳第三十五 韓雄

韓雄

  • 韓雄、字は木蘭。河南東垣の人。祖の景は魏孝文帝の時赭陽郡守。若くして勇敢で膂力抜群、騎射に優れ将帥の材略があった。魏孝武帝西遷に際し慷慨し功を立てる志を抱き、大統初その属六十余人と洛西で挙兵、数日で衆千人に達し河南行台楊琚と犄角をなし東魏を抄掠、東魏洛州刺史韓賢が討伐に来ると軍司慕容紹宗と合流し数十合戦い雄兵はほぼ壊滅、兄・妻子は賢に捕らえられ処刑されようとしたが、雄は自ら賢の陣に赴き妻子を救い、賢の帰路で密かに賢の党を誘い襲撃を図るも事泄れて逃亡。太祖(宇文泰)が弘農にいた際謁見し武陽県侯・食邑八百戸に封じられ、義衆を招集し洛州に迫り東魏洛州刺史元湛は河陽へ逃走、長史孟産は開城帰順。独孤信の入洛に従い河橋の戦いにも参加、洛西鎮守・仮平東将軍・東郡守・北中郎将。邙山の役では隘道で斉神武を邀撃し包囲されるも突囲し脱出、東徐州刺史。東魏東雍州刺史郭叔略を計略で斬殺し河南尹・公に進爵・車騎大将軍・儀同三司・大都督・散騎常侍、驃騎大将軍・開府儀同三司・侍中・河南邑中正。孝閔帝践阼で新義郡公・食邑三千八百戸、宇文氏姓を賜与。世宗二年中徐虞洛四州諸軍事・中州刺史。四十五戦を経て東魏に深く畏憚され、天和三年鎮所で卒し大将軍・中華宜義和五州諸軍事・中州刺史・諡威を追贈。子の禽が嗣いだ。