周書卷四十三 列傳第三十五 韋祐

韋祐(字法保)

  • 韋祐、字は法保、京兆山北の人。字で世に知られた。世々州郡の著姓で、祖の駢は雍州主簿・秀才・中書愽士、父の義は前将軍・上洛郡守で魏大統中法保の功により秦州刺史を追贈された。若くして遊侠を好み質直寡言で、交遊はみな軽猾な亡命者だったが困窮者を多く救い追捕されても操を変えなかった。父没後母・兄に孝敬をもって聞こえ、李長夀の人となりを慕いその娘を娶り関南に寓居。正光末の擾乱で避難する王公を保護し貴ばれ員外散騎侍郎・軽車将軍。魏孝武帝西遷に従い右将軍・太中大夫・固安県男・食邑二百戸。長夀が害されると子の延孫を援けるため東洛州刺史・兵数百配属。潼関に至った際弘農郡守韋孝寛に危険を諭されたが「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と応じ、東魏陜州刺史劉貴の迎撃を突破し延孫軍と合流、太祖により召還され厚く賞され大都督、四年河南尹。延孫戦死後はその旧柵に拠り東魏軍と戦い続け、常に先陣で傷を負い、関南での戦いで矢が頸を貫通し気絶するも蘇生。九年車騎大将軍・儀同三司・九曲城鎮守。侯景が豫州で帰附した際援兵を送るも景に留められそうになり不信を抱いて固辞し帰還。十五年驃騎大将軍・開府儀同三司、公に進爵。東魏軍の宜陽糧運を邀撃中矢に当たり戦死、諡は荘。子の初が嗣ぎ建徳末開府儀同大将軍・閻韓防主に至った。