出自と西魏での官歴
- 薛寘、河東汾陰の人。祖父遵彦は魏の平遠將軍・河東郡守・安邑侯、父又は尚書吏部郎・清河廣平二郡守。寘は幼くして篇籍を覧じ文を屬すことを好み、20歳前に州主簿・郡功曹となり、奉朝請から出仕し左將軍・太中大夫に遷った。魏孝武帝西遷に従い郃陽縣子(邑400戸)に封ぜられ中軍將軍に進号した。
- 魏廢帝元年、著作佐郎兼領で修國史、まもなく中書侍郎を拝し修起居注、中書令・車騎大將軍・儀同三司に遷った。燕公于謹の江陵征伐に司録として従い軍中の謀略に参与した。江陵平定で伯爵に進み邑500戸を増した。朝廷が改物創制し周禮を行おうとした際、寘は小宗伯盧辯と共に古今を斟酌し詳定した。六官建立で内史下大夫を授けられた。
晩年と著作
- 孝閔帝踐阼で侯爵に進み邑500戸を増し、御正中大夫に転じた。当時、前中書監盧柔は学業優深で文藻華贍、寘と並び称され世に「盧薛」と号された。のち驃騎大將軍・開府儀同三司に進み浙州刺史に出て任地で卒した。吏民は哀惜し虞州刺史を贈られ諡は理。文筆20余巻が世に行われ、また『西京記』3巻を撰し引拠該洽で博聞と称された。
- 寘の性は至孝で年齢が衰えても温凊の礼(親への朝夕の挨拶)を朝夕欠かさず、時人はこれを称えた。子の明が嗣ぎ大象末には儀同大將軍・清水郡守。