先登陥陣の勇将
- 厙狄昌は字を恃徳といい、神武の人。少くして騎射に便り膂力があり、成長すると立ち居振る舞いは閑雅で胆気は壮烈、常に将帥を自負した。18歳、爾朱天光に幢主として引かれ討夷将軍を加えられ、天光に従い関中を平定した功で寧遠将軍・奉車都尉統軍を拝した。天光が敗れると、また賀抜岳に従い征西将軍・金紫光禄大夫を授けられた。岳が害されると昌は諸将と太祖を翊戴することを議し、侯莫陳悦の平定に従い陰盤県子の爵を賜り、衛将軍・右光禄大夫を加えられた。後に太祖に従い魏孝武帝を迎え潼関を復し、長子県子に改封され邑800戸を得た。大統初年、爵を公に進め邑1000戸を増やされた。竇泰を破るのに従い車騎将軍・左光禄大夫を授けられた。また𢎞農を復し沙苑に戦い、昌はみな先登陥陣し、太祖はこれを嘉して帥都督を授けた。4年、河橋の戦に従い冀州刺史を除せられた。後に于謹と共に胡賊劉平伏を上郡に破り、馮翊郡守を授けられ、しばらくして河北郡守に転じた。13年、前後の功を録され大都督・通直散騎常侍を授けられた。また隋公楊忠に従い蛮賊田社清を破り昌の功が最とされ邑300戸を増やされ儀同三司を拝し、まもなく開府儀同三司に遷った。16年、東夏州刺史として出た。魏廃帝元年、方城郡公に進み邑を并せて4100戸に増やされた。六官が建てられると稍伯中大夫を授けられた。孝閔帝の践阼で大将軍を拝し、後に病により卒した。