春秋左傳事類始末孔丘(孔子)、死去(孔丘卒)
孔子が没し、哀公が誄を述べて悼んだが、子貢はその誄が礼にかなわないと批判した短い一件。魯哀公十六年(前479年)にあたる。
年表(1件)
- 魯哀公十六年(前479年)孔丘(孔子)が没し、哀公の誄を子貢が礼にかなわないと評す
魯哀公十六年(前479年)
- 夏四月、孔丘(孔子)が没した。哀公はこれを誄(しのびごと)して「天は情け容赦なく、心を痛めながらもこの一人の老臣を私のもとに留めてはくれなかった。孤独な私は病のうちに在位している。ああ悲しいことだ、尼父(孔子)よ、私はもはや自らを律する拠り所を失った」と述べた。
史論(子贛)
- 子贛(子貢)はこれを評し、「我が君は魯で天寿を全うできないのではないか。先生(孔子)はかつて『礼を失えば道理が昏くなり、名分を失えば過ちを犯す』と言われた。志を失うことを昏といい、なすべきことを見失うことを愆という。生前に用いることができず、死してから誄を作るのは礼にかなわない。また『予一人』と自称するのは天子の名乗りであり、諸侯の名分にそぐわない。君はこの両方の過ちを犯している」と述べた。