春秋左傳事類始末宋、桓魋の乱(宋桓魋之亂)

宋公を害そうと企てた寵臣・桓魋(向魋)を、公が左師・向巣を味方に引き入れて先んじて討伐し、向魋は衛へ、その兄向巣は魯へ、司馬牛は諸国を転々とした末に魯で没するまでの顛末。魯哀公十四年(前481年)にあたる。

年表(1件)

魯哀公十四年(前481年)

  • 宋の桓魋(向魋)は宋公の寵愛を受けていたが公を害そうと企てていた。公は夫人にたびたび饗宴を請わせ、機を見て桓魋を討とうとしたが、討伐に及ぶ前に桓魋が先に謀を巡らせた。
  • 桓魋は鞌の邑を薄の邑と交換したいと請うたが、公は「薄は宗廟のある邑だ」と拒んだ。そこで桓魋は鞌にさらに七つの邑を加え、公を饗応したいと申し出て日中を期日とした。桓魋の一族はすべて出向いていった。公はこの企てを知り、皇野・子仲に「臣下に従順でない者があるのは神も憎むところ、まして人はなおさらだ、あえて討伐の命に従わぬわけにはいかない」と告げたが、左師(向巣)の協力なしには事が運ばぬため、君命を以て召した。
  • 左師は食事のたびに鐘を鳴らす習わしがあり、その音を聞いた公は「あの方はまだ食事中だな」と述べ、食べ終えてまた鐘が鳴ると「よし」と述べて、乗車で向かった。「野人が来て逢沢に大きな麋(大鹿)がいると告げております」と口実を作り、公は「左師を得たら共に狩りをしよう、どうか」と誘って共に乗り、桓魋討伐の企てを打ち明けた。左師は感激して起き上がれぬほどであった。
  • 司馬(桓魋の一族)が「君は何を話されたのか」と問うと、公は「難しく思うことは、上には天があり、下には先君の霊がある、ということだ」と答えた。左師は「桓魋の不忠は宋の禍です、あえて君命に従わぬわけにはいきません」と答え、瑞(信物)を求めてその手勢に桓氏討伐を命じた。
  • 子頎が馬を走らせて桓司馬にこれを告げると、司馬は宮中に入ろうとしたが、子車がこれを止めて「君に事えられず、その上国を伐てば、ただ死を招くだけだ」と諫めた。向魋は曹の地に入って叛いた。六月、公は左師の巣に命じてこれを討伐させ、向魋は衛へ亡命した。
  • 向巣(左師)は魯に亡命した。宋公はこれを引き留めようとし「私とあなたには約束があった、向氏の祭祀を絶やすわけにはいかない」と述べたが、向巣は「私の罪は重大です。もし先代の功により後継を立てていただけるなら、それは君の恵みです。しかし私自身が宋に戻ることはできません」と辞退した。
  • 司馬牛(向氏の一族)はその封邑と珪(玉器)を返上して斉に行き、向魋も斉に亡命した。陳成子は向魋を次卿に任じた。司馬牛はさらに邑を返上して呉に赴いたが、呉人にこれを嫌われ引き返した。趙簡子と陳成子がそれぞれ司馬牛を招いたが、彼は魯の郭門の外で没し、丘輿に葬られた。