春秋左傳事類始末衛の大叔疾、宋に出奔する(衞大叔疾出奔宋)
衛の大叔疾が孔文子の娘を娶らされながら元の妻の妹を囲い続けたことで文子の怒りを招き、仲尼(孔子)の仲裁で攻撃こそ免れたものの後妻を取り上げられ、さらに外での不行跡から辱めを受けて宋へ出奔した一件。仲尼が「鳥は木を選べるが木は鳥を選べない」と言って魯へ帰る経緯も語られる。魯哀公十一年(前484年)にあたる。
年表(1件)
- 魯哀公十一年(前484年)衛の大叔疾が私行のもつれから孔文子の怒りを招き宋に出奔する
魯哀公十一年(前484年)
- 衛の大叔疾が宋に出奔した。以前、疾は宋の子朝の娘を妻とし、その妹も寵愛していた。子朝が出奔した後、孔文子は疾に本妻を離縁させ、自分の娘を娶らせた。ところが疾は侍人を使い元の妻の妹を誘い出し、犂の地に住まわせて、あたかも二人の妻がいるかのようにした。
- 文子は怒って疾を攻めようとしたが、仲尼(孔子)がこれを止めた。結局、文子の娘(疾の後妻)を疾から取り上げる形になった。さらに疾は外でも淫らな行いをし、外州の人にその軒車を奪われ献上されるという恥を受けた。この二つの事情から疾は出奔することとなった。
- はじめ、文子が大叔(疾)を攻めようとした際、仲尼に相談したところ、仲尼は「祭器を扱う礼のことなら学んだことがあるが、兵を用いる事は聞いたことがない」と答えて退出し、車の用意を命じて立ち去ろうとしながら「鳥は木を選べるが、木は鳥を選べない」と言った。文子は慌てて引き留め、「圉(私)は決して私事を思案していたのではなく、衛国の困難について尋ねただけだ」と述べて仲尼を留めようとした。仲尼はいったん魯に帰ろうとしたが、魯の人々が礼物を持って招いたため、結局魯へ帰った。