春秋左傳事類始末季孫、田賦を用いる(季孫用田賦)

季孫が新たな軍税「田賦」を課そうとし、仲尼(孔子)に意見を求めるが、孔子は礼にのっとった租税の軽減を説き遠回しに諫める。しかし季孫は聞き入れず、翌年田賦の制度が実施されるまでの魯哀公十一年(前484年)から十二年(前483年)の経緯。

年表(2件)

魯哀公十一年(前484年)

  • 季孫は田賦(田畑に課す新たな軍税)を実施しようとし、冉有を通じて仲尼(孔子)に意見を求めさせた。仲尼は「私にはよく分からない」と答えたが、三度重ねて問われ、冉有が「あなたは国の長老であり、あなたの言を待って事を行おうとしているのに、なぜ何もおっしゃらないのですか」と言うと、仲尼は表立っては答えず、冉有にだけ内々に語った。
  • 「君子の行いは礼にのっとるものだ。施しは手厚く、事業は中庸を選び、租税は軽くする。そうすれば従来の税制(丘賦)でも十分足りる。もし礼にのっとらず貪欲に飽くことを知らなければ、田賦を課してもなお足りないだろう。季孫がもし法にのっとって行うつもりなら周公の定めた典章がある。もし勝手気ままに行うつもりなら、そもそも私に尋ねる必要などない」。しかし季孫はこれを聞き入れなかった。

魯哀公十二年(前483年)

  • 春正月、田賦の制度が実施された。