春秋左傳事類始末季孫、病んで後事を命じる(季孫有疾命正常以後事)

病篤い季孫(季桓子)が正常に、南孺子の子が男なら立てよと遺命したが、生まれた男児が何者かに殺されて正常も衛へ亡命した顛末を記す短い一篇。

年表(1件)

魯哀公三年(前492年)

  • 秋、季孫(季桓子)は病篤く、正常に「死なせてはならない。南孺子の子が男であれば、これを君と大夫に告げて立てよ。女であれば肥(季康子)でよい」と命じた。
  • 南氏は男児を生み、正常はこれを車に乗せて朝廷に赴き、「主君の遺言により、南氏が男児を生めば君と大夫に告げて立てよとのことでした。今、男児が生まれましたので謹んでご報告します」と告げ、そのまま衛へ亡命した。康子(肥)は自ら退くことを申し出た。
  • 哀公が共劉に様子を見させたところ、すでにその子は何者かに殺されていた。犯人を追及し正常を召還しようとしたが、正常は戻らなかった。