春秋左傳事類始末鄭の駟歂、鄧析の竹刑を用いる(鄭駟歂用鄧析竹刑)
鄭の駟歂が子大叔の後を継いで政を執り、鄧析を殺しながらもその考案した竹刑を用い続けたことを、君子が不忠と評した短い一篇。
年表(2件)
- 魯定公八年(前502年)駟歂が子大叔の後を継ぎ鄭の政を執る
- 魯定公九年(前501年)駟歂が鄧析を殺すもその竹刑を用い君子に不忠と評される
魯定公八年(前502年)
- 鄭では駟歂(子然)が子大叔の後を継いで政をとった。
魯定公九年(前501年)
- 駟歂は鄧析を殺したが、その考案した竹刑(竹簡に記した法典)はそのまま用いた。
- 君子はこの措置を不忠と評した。国家のためになるものがあれば出所の是非は問わず用いてよいという考えもあるが、詩経「静女」第三章が彤管を、「竿旄」がその忠実さを詠うように、人の善き道を用いてもその人自身を見捨てないのが本来の道である。「蔽芾たる甘棠、翦る勿れ伐る勿れ、召伯の茇りし所」の詩も、その人を偲んで木さえ愛おしむことを詠う。まして人の考え出した方法を用いながらその人の命を顧みないとは、あってはならないことであり、子然のやり方は才ある者を励ますものではなかったと評された。