春秋左傳事類始末叔輒、日食に哭す(叔輒哭日食)
日食の意味を梓慎が公に説いた際、叔輒がこれを見て哭泣し、昭子がその死の近さを予見して、翌月実際に叔輒が没した1年の出来事。
年表(1件)
- 魯昭公二十一年(前521年)日食に叔輒が哭泣し、昭子の予見どおり後に没する
魯昭公二十一年(前521年)
- 秋七月壬午朔、日食があった。公が梓慎に「これは何を意味するのか」と問うと、梓慎は「二至・二分に日食が起きても災いにはならない。日と月の運行は、分(春分・秋分)では軌道が重なり、至(夏至・冬至)では互いにすれ違うだけだからだ。それ以外の月に起これば災いとなる。陽気が陰気に打ち勝てないためで、通例では水害の兆しとなる」と答えた。
- このとき叔輒は日食を見て哭泣した。昭子は「子叔(叔輒)は間もなく死ぬのだろう、哭くべきことではないのに」と評した。八月、叔輒は没した。