春秋左傳事類始末楚の費無極、蔡に在る朝呉を害す(楚費無極害朝吳在蔡)

楚の費無極が蔡にいる朝吳を妬み、両者に虚言を吹き込んで離間させ、朝吳を追放に追い込む経緯を描く。王に問い詰められた費無極は、朝吳の才知が呉の脅威になりかねないとして自らの謀略を正当化した。

年表(1件)

魯昭公十五年(前527年)

  • 楚の費無極は朝呉が蔡にいることを憎み、これを排除しようと画策した。朝呉には「王はあなたを信任して蔡に置いているのに、あなたはもう十分な年配でありながら低い地位に甘んじている。恥ずべきことだ、必ず高い地位を求めるべきだ、私が助けよう」とけしかけ、一方でその上位者には「王は朝呉を信任している、皆はそれを知らないが、あなたの地位が脅かされかねない、放っておけば必ず難に遭うだろう」と吹き込んだ。
  • こうして蔡人は朝呉を追放し、朝呉は鄭へ亡命した。王が怒って「朝呉なくして今の蔡はなかったのに、なぜ追い出したのか」と費無極を問い詰めると、費無極は「私とて朝呉を憎んでいたわけではありません。ただ彼の人となりの並外れた才知を見抜き、朝呉が蔡にいれば蔡は急速に離反するだろうと考え、いわば呉(呉国)の翼を先に切り落としたのです」と弁明した。