春秋左傳事類始末斉侯、晋に如きて燕を伐たんと請う(齊侯如晉請伐燕)
斉侯が晋に北燕討伐への協力を求めて許され、晏子の諫めにもかかわらず燕を攻めるが、燕人が謝罪と賄賂を差し出し、斉軍は戦果なく帰還した顛末。
年表(2件)
- 魯昭公六年(前536年)斉侯が晋に北燕討伐の協力を求め許され、晏子は入る必要なしと諫める
- 魯昭公七年(前535年)斉が燕を攻めるも燕人の謝罪と賄賂を受け戦果なく帰還
魯昭公六年(前536年)
- 十一月、斉侯は晋を訪れ、北燕討伐への協力を求めた。晋侯はこれを許可し、十二月に燕を伐って簡公を復位させようとした。
- 晏子は「入る必要はない、燕にはすでに君がいて民は離反していない。我が君は左右の諂いに惑わされ、信のないまま大事を起こしても成功しない」と諫めた。
魯昭公七年(前535年)
- 正月、斉侯は虢に軍を進めた。燕人は「非は我らにある、命に従う」と述べ、先君伝来の宝器を差し出して謝罪した。公孫晳は「贈り物を受けて一旦退き、機を待って動けばよい」と進言した。
- 二月、濡水のほとりで盟が結ばれた。燕人は燕姫(燕へ嫁いでいた女性)を送り返し、瑶罋・玉櫝・斚耳(玉製の酒器)などを贈って賄賂とした。斉軍は戦果を得ないまま帰還した。