春秋左傳事類始末子服恵伯、滕成公の将に死せんとするを知る(子服惠伯知滕成公將死)
滕の成公が魯の襄公の葬儀に列席した際、職務には怠慢でありながら涙を多く流す様子から、子服恵伯がその死が近いと予見した話。後にその予言通り滕の成公(原)が没した。
年表(2件)
- 魯襄公三十一年前542年滕成公の不釣り合いな態度から子服恵伯が死の近いことを予見した
- 魯昭公三年前539年滕の成公(原)が没した
魯襄公三十一年(前542年)
- 冬十月、滕の成公が魯へ来て(襄公の)葬儀に会したが、態度は投げやりでありながら涙を多く流した。子服恵伯は「滕君はまもなく死ぬだろう。職務には怠慢でありながら悲しみだけは度を超えている、これは死の兆しが表れているということだ、どうしてこれに従わずにいられよう」と述べた。
魯昭公三年(前539年)
- 滕の子(成公の子、原)が没した。