春秋左傳事類始末鄭の子張、善く戒める(鄭子張善戒)
鄭の公孫黒肱(子張)が病床で邑を公に返上し後継を段に定め、祭祀も質素にして余分な邑を返還した。富に頼らず慎み戒めて生きることを説いた言葉と、その死を君子が称えたことを記す。
年表(1件)
- 魯襄公二十二年前551年黒肱が邑を返上し戒めの言葉を残して没する
魯襄公二十二年(前551年)
- 鄭の公孫黒肱(子張)が病にかかり、邑を公に返上し、家老と一族を召して段を後継に立て、官職を辞退させた。祭祀も質素にし、特羊を用いる程度に留め、余った邑はすべて返上した。
- 黒肱は「乱世に生まれても、身分が高くとも貧を保てる者は民に求めるものがなく、後まで生き残れると聞く。敬んで君に仕え、皆とともに慎み戒めて生きることが大切で、富にあるのではない」と述べた。
- 己巳の日、伯張(黒肱)は没した。君子は「善く戒めた人物だ」と評し、『詩経』の「あなたの諸侯としての節度を慎み、不測の事態に備えよ」の句を引いて、鄭の子張はまさにこの言葉にふさわしいと称えた。