春秋左傳事類始末魯の季孫、外盗を招く(魯季孫來外盜)

邾の庶其が邑を持って魯に出奔した際、季武子がこれを厚く礼遇したことから国内に盗みが横行した。臧武仲は司寇として取り締まりを求められたが、上に立つ者が盗みに褒賞を与えていては禁じようがないと論じ返した。

年表(1件)

魯襄公二十一年(前552年)

  • 邾の庶其が漆・閭丘の地を持って魯に出奔してきたため、季武子は公の姑姉を妻として与え、従者にも褒賞を与えた。これにより魯では盗みが横行するようになった。
  • 季孫は臧武仲に「あなたは盗賊を取り締まらないのか」と言うと、武仲は「取り締まれない。私(紇)も無力だ」と答えた。
  • 季孫が「私には国の四方の境があるのに、盗賊を取り締まらないとはどういうことか。あなたは司寇として盗賊を取り除くのが務めのはずだ」と迫ると、武仲は反論した。
  • 武仲は「あなたは外部の盗賊(庶其)を招いて厚く礼遇しておきながら、どうして国内の盗みを止められようか。あなたは正卿でありながら外の盗人を招き入れ、私に取り締まれと言う。庶其は邾の邑を盗んで来たのに、あなたは姫氏を妻として与え邑まで与えた。従者にまで褒賞を与え、身分の高い者には御者や馬車を、低い者には衣服や剣帯を与えた。これは盗みに褒賞を与えているのに等しい。褒賞しながら取り締まれというのは難しい」と述べた。
  • 武仲はさらに「上に立つ者が自らの心を清め、常に規範を持って人に接すれば、その誠実さは自ずと明らかになる。上の行いを民は見て倣うものであり、上が行わないことを民が行えば刑罰を科すが、上が行うことを民も行うのは当然であり、それを禁じることはできない」と論じ、『書経』夏書の「善事もこれにあり、これを捨てればこれになし、名づけて言うもこれにあり、まことに出るもこれにあり」の句を引いて、上に立つ者の一貫した信義が功を成す根本だと結んだ。