春秋左傳事類始末晋の韓献子、老を請う(晉韓獻子請老)
晋の韓献子が引退にあたり、体に障りのある子・穆子に代えて韓起を後継に推薦し、晋侯もこれを認めて韓起を朝に立て、韓無忌には公族大夫の統轄を任せた逸話。
年表(1件)
- 魯襄公七年前566年韓献子が引退し韓起を後継に推薦する
魯襄公七年(前566年)
- 晋の韓献子が老齢を理由に引退を願い出た。公族の穆子(韓無忌)は身体に障りがあったため、これを立てようとしたが辞退し、「『詩経』に『朝な夕なに慎まねば道に露を受ける』とあり、また『自ら行わず自ら親しまねば民は信じない』ともある。私は才がないのに、譲らずにいられようか。起(韓起)を立てるべきだ」と述べた。
- 起は田蘇と親しく交わり仁を好むと評されていた。『詩経』に「その位を静かに慎み、正直な人を好めば、神はこれを聞き入れ大きな福を与える」とある。民を憂えるを徳とし、正直であることを正とし、曲がったことを正すのを直とし、調和を保つのを仁とする。このようであれば神も聞き入れる、これを立てても問題ない、とされた。宣子(韓起)を朝に立て、献子は引退した。晋侯は韓無忌を仁者と認め、公族大夫の統轄を任せた。