春秋左傳事類始末三たび郊を卜し従わず牲を免す(三卜郊不從免牲)
魯が郊祀を行うか三度占ったが吉と出ず犠牲を放免したことについて、孟献子が郊祀は本来啓蟄の頃に行うべきものであり、耕作を終えてから占ったことが原因だと説いた逸話。
年表(1件)
- 魯襄公七年前566年郊祀の占いが三度とも吉と出ず犠牲を放免する
魯襄公七年(前566年)
- 夏四月、郊祀を行うか三度占ったが吉と出ず、犠牲を放免した。孟献子は「私は今になってようやく卜筮の意味を知った。郊祀は后稷を祀り農事の豊穣を祈るものだから、啓蟄の頃に行い、郊祀の後に耕作を始めるのが本来である。すでに耕作を終えてから郊祀を占ったのだから、吉と出ないのも当然だ」と述べた。