春秋左傳事類始末穆叔、晋に如く(穆叔如晉)
魯の穆叔(叔孫豹)が知武子の魯訪問への答礼として晋を訪れ、饗応の楽曲ごとに拝礼の可否を使い分け、その礼の意味を韓献子の使者に説き明かした逸話。
年表(1件)
- 魯襄公四年前569年穆叔が晋を訪れ饗応の楽曲に応じた拝礼の礼を説く
魯襄公四年(前569年)
- 穆叔(叔孫豹)が晋を訪れ、知武子の魯訪問への答礼とした。晋侯は穆叔を饗応し、金奏(鐘鼓の演奏)で『肆夏』三曲を奏でたが穆叔は拝礼せず、次に『文王』三曲を歌わせても拝礼せず、『鹿鳴』三曲を歌わせて初めて三度拝礼した。韓献子は行人・子員を遣わして「あなたは主君の命でわが国に来られ、先君以来の礼として音楽で歓待したのに、大きな曲には拝礼せず、小さな曲にばかり丁重に拝礼するのはどういう礼か」と尋ねさせた。
- 穆叔は答えた。「三夏(肆夏)は天子が元侯(大諸侯)を饗応する曲であり、陪臣の身には与り知らぬところゆえ拝礼しませんでした。『文王』は両国の君主同士が会う際の曲であり、これも私が拝すべきものではありません。『鹿鳴』は貴国の君が我が君を嘉する曲、拝礼せずにいられましょうか。『四牡』は貴国の君が使者の労をねぎらう曲、これも重ねて拝礼すべきです。『皇皇者華』は貴国の君が使者に『必ず善き人に諮問せよ』と教える曲で、善き人を訪ねるを『咨』、親族に問うを『詢』、礼を問うを『度』、事を問うを『諏』、difficultyを問うを『謀』と申します。私はこの五つの善言を頂き、重ねて拝礼せずにいられましょうか」。