春秋左傳事類始末衛侯、孫林父を復す(衛侯復孫林父)
衛定公に憎まれた孫林父は晉へ出奔し戚の地を保つ。晉侯の圧力と定姜の諫めにより、定公は最終的に孫林父と会い、その地位を回復させた。
年表(2件)
- 魯成公七年前584年孫林父が晉へ出奔し晉の後押しで戚の地を得る
- 魯成公十四年前577年定姜の諫めで衛定公が孫林父と会い地位を回復させる
魯成公七年(前584年)
- 衛の定公は孫林父を憎み、林父は晉へ出奔した。衛侯が晉を訪れると、晉は戚の地を林父に返した。
魯成公十四年(前577年)
- 衛侯が晉を訪れた際、晉侯は強いて孫林父に会わせようとしたが、定公はこれを拒んだ。
- 衛侯が帰国したのち、晉侯は卻犨を遣わして孫林父を衛侯に引き合わせようとした。衛侯は断ろうとしたが、定姜が「それはいけません。林父は先君に仕えた宗卿の後継ぎであり、大国からの申し入れでもあります。許さねば衛は滅びかねません。ここは耐えて、民を安んじ宗卿を宥すのがよろしいのではありませんか」と諫めた。衛侯はこれを受けて林父と会い、その地位を回復させた。