春秋左傳事類始末晋宋衛、清丘に同盟する(晉宋衞同盟于清丘)

晉・宋・衛・曹が清丘で「病んだ国を助け貳心の国を討つ」と盟うが、宋が陳を討った際に衛が陳を救援し盟約に背く。晉が衛を責めると、衛の孔達は自ら責を負って首を吊り、衛は晉への申し開きを果たした。

年表(3件)

魯宣公十二年(前597年)

  • 晉の原穀・宋の華椒・衛の孔達・曹人が清丘で同盟し、「病んだ国を助け、貳心を抱く国を討つ」と誓った。この会盟には各国の卿が参加していたが、記録にその名が書かれなかったのは、誓いの言葉が実行されなかったからである。
  • 宋はこの盟に基づき陳(楚に寝返っていた)を討ったが、衛人は陳を救援した。孔達は「先君の代からの約束があった以上、たとえ大国から責められても、この身をもって責を負う」と述べた。

魯宣公十三年(前596年)

  • 清丘の盟にもかかわらず衛が陳を救援したことについて、晉が衛を責めた。孔達は「国家の利益になるなら、私が罪を引き受けよう。この件が私の判断で始まったのであれば、政をとる者として大国の責めを一身に引き受けるのは当然だ。誰かに押し付けるわけにはいかない。私が死んでけりをつける」と述べた。

魯宣公十四年(前595年)

  • 春、孔達は自ら首を吊り、これによって衛は晉への申し開きが立ち赦された。衛は諸侯に「我が君には不心得な臣がいて、大国との間に問題を起こしましたが、既にその罪を償いました」と告げた。孔達の家族には、その子の家を復興させ元の地位を継がせるという厚遇が与えられた。