春秋左傳事類始末楚子、蕭を伐つ(楚子伐蕭)
楚荘王が蕭を攻めた際、蕭が捕らえた楚の熊相宜僚と公子丙を殺したため荘王は激怒して包囲する。荘王自ら兵を巡回して士気を高めて蕭を落とし、その際、蕭の無社が申叔展の機転により涸れ井戸から救い出される逸話を伝える。
年表(1件)
- 魯宣公十二年前597年楚荘王が蕭を攻め落とし申叔展の機転で無社が救われる
魯宣公十二年(前597年)
- 楚の荘王が蕭を攻めると、蕭の人々は楚の熊相宜僚と公子丙を捕らえた。荘王が「殺すな、私は兵を退く」と言ったが、蕭の人々は二人を殺してしまった。荘王は怒って蕭を包囲した。
- 楚軍の兵士に凍える者が多かったので、申公巫臣が「王が三軍を巡回して労えば、士気があがるだろう」と勧めると、王は自ら巡回して兵をねぎらい、兵士たちは真綿を着せられたかのように奮い立ち、蕭の城壁に迫った。
- 蕭を落として引き上げる際、無社が司馬の卯に危険を告げようとして申叔展に助けを求めた。申叔展が「麦麹はあるか」と尋ねると「ない」と答え、「山鞠窮(湿気よけの薬草)はあるか」と尋ねてもやはり「ない」と答えた。「それでは河魚の腹の病(水難)にどう対処するのか」と問うと、無社は「涸れ井戸を見張っていてくれれば、そこから救い出してほしい。茅の喪章を作って井戸のそばで哭いてくれれば分かる」と答えた。
- 翌日、蕭の城が陥落すると、申叔展はその井戸を見て茅の喪章が置かれているのを見つけ、哭きながら無社を救い出した。