春秋左傳事類始末晋、公族を設置する(晉於是有公族)

晉では驪姬の乱以来、群公子を養わない誓いにより公族の制度が絶えていた。晉成公が即位すると卿の嫡子に公族、その弟に餘子、庶子に公行の官職を設けて制度を復活させる。趙盾は自子の括を君姫氏の縁により公族に加えるよう願い出て許され、自らは旄車の族に転じた。

年表(1件)

魯宣公二年(前607年)

  • かつて晉の驪姬の乱の際、群公子を養わない旨の誓いが立てられて以来、晉には公族の制度が絶えていた。
  • 晉成公が即位すると、卿の嫡子に官を与えて田を賜り、これを「公族」とした。また嫡子の弟である餘子にも官を与えて「餘子」の政を治めさせ、庶子には公戎の隊列を率いさせて「公行」とした。こうして晉に公族・餘子・公行という官職が置かれた。
  • 趙盾は自分の子の括を公族に加えるよう願い出て、「括は君の姉妹である君姫氏の愛子であり、君姫氏がいなければ自分は狄人の子にすぎない」と述べた。成公はこれを許した。
  • 冬、趙盾は自ら旄車の族に転じ、屏季(括)にもとの趙氏の族を継がせて公族大夫とした。