春秋左傳事類始末晋、曹伯を復位させる(晉復曹伯)
晋文公が曹を攻めて曹伯を捕らえたが、侯獳の占いを通じた諫言により兄弟国を滅ぼす非を悟り曹伯を復位させた逸話。翌々年には済水以西の曹の地を分割した。
年表(2件)
- 僖公二十八年(前632年)晋が曹に入り曹伯を捕らえるが、侯獳の諫めで復位させる
- 僖公三十一年(前629年)晋が曹の地を洮水以南から済水に至るまで分割する
僖公二十八年(前632年)
- 晋侯は曹を包囲したが、城門攻めで多くの死者を出し、曹人は晋兵の死体を城壁上にさらした。晋侯はこれを憂い、軍中の者の計略を用いて「曹人の墓地に陣を移す」と称した。曹人は恐れ、晋兵の遺骸を棺に納めて城外に出した。晋はその動揺に乗じて攻め、三月丙午、曹に入った。
- 晋侯は曹伯の罪を数え上げ、僖負羈を用いず、徳のない者を高位(軒車に乗る身分)に三百人も置いていたことを責めた。曹伯は捕らえられた。
- 冬、晋侯が病に倒れた。曹伯の家臣・侯獳は占い師に賄賂を贈り、「曹の処遇が原因だ」と占わせた。すなわち、斉桓公は会盟の際に異姓の国を封じたのに、晋君は会盟の際に同姓の国(曹)を滅ぼそうとしている。曹の始祖振鐸は文王の子であり、晋の始祖唐叔は武王の子で、共に近い一族にあたる。諸侯を集めながら兄弟国を滅ぼすのは礼にかなわず、衛国と同時に処分しながら同時に復位させないのは信にかなわず、同じ罪で処罰を異にするのは刑にかなわない、礼・信・刑のいずれも欠くことになる、という趣旨であった。晋侯はこれを聞いて喜び、曹伯を復位させた。
僖公三十一年(前629年)
- 春、済水以西の田を取り、曹の地を分割した。臧文仲を重館に遣わしたところ、重館の者は「晋は新たに諸侯の長となったばかりで、恭順な者を親しむはず。急がねば手遅れになる」と忠告し、これに従った。曹の地は洮水以南から東は済水に至るまで分割された。