春秋左傳事類始末桓公廟の柱を朱に塗る(丹桓宫之楹)
荘公が桓公廟の柱を朱に塗り垂木にも彫刻を施したこと、また哀姜の謁見に際して婦人が男子の贄を用いたことを、御孫がいずれも非礼として諫めた一件。莊公二十三・二十四年(前671〜前670年)。
年表(2件)
- 莊公二十三年(前671年)桓公廟の柱を朱に塗る
- 莊公二十四年(前670年)垂木の彫刻と哀姜謁見の非礼を御孫が諫める
莊公二十三年(前671年)
- 秋、桓公の廟の柱を朱に塗った。
莊公二十四年(前670年)
- 春、その垂木にも彫刻を施した。いずれも非礼である。御孫は「倹約は徳の共なるもの、奢侈は悪の大なるものと聞く。先君(桓公)は倹約の徳を備えていたのに、今の君はそれを大きな悪に導こうとしている、よろしくないのでは」と諫めた。
- 秋、哀姜が魯に至り、荘公は宗族の婦人たちに幣(絹)を持って謁見させた。御孫は「男の贄は大は玉帛、小は禽鳥で身分を表す。女の贄は榛栗棗脩(木の実や干し肉)に過ぎず、居所を告げるためのもの。今、男女が同じ贄を用いれば区別がなくなる。男女の別は国の大切な規範であるのに、夫人によってこれが乱されている、よろしくないのでは」と諫めた。