春秋左傳事類始末楚子、蔡に入る(楚子入蔡)

蔡侯が息侯の妻・息媯を無礼に扱ったことから息侯が楚を招き入れ、楚が蔡を破り、さらに息を滅ぼして蔡にも攻め入るまでの経緯。莊公十年から十四年(前684〜前680年)。

年表(2件)

莊公十年(前684年)

  • 蔡の哀侯と息の侯は共に陳から妻を娶った。息媯が帰嫁の途中で蔡に立ち寄った際、蔡侯は「わが姨(妻の妹)だ」と迎えたが礼を尽くさなかった。息侯は怒り、楚の文王に「我を攻めよ、私が蔡に救援を求めればそこを討てる」と持ちかけ、楚子はこれに従って莘で蔡軍を破り、蔡侯(献舞)を捕らえて帰った。

莊公十四年(前680年)

  • 蔡の哀侯は先の恨みから、息媯の美しさを楚子に吹き込んだ。楚子はこれに乗じて息を滅ぼし、息媯を連れ帰って堵敖・成王を生ませたが、彼女は何も語らなかった。楚子が問うと「一人の女が二人の夫に仕えることになった、死ねないのならこれ以上何を言えようか」と答えた。楚子は蔡侯が息を滅ぼす原因を作ったとして蔡を攻め、そのまま蔡に入った。

史論(君子曰)

  • 商書にいう「悪の広がりは野火のようだ、近づくこともできず、なお消し止められないものはない」とは、まさに蔡の哀侯のことだ。