春秋左傳事類始末魯桓公、斉で薨去する(桓公薨于齊)
申繻の諫めを聞かず桓公が夫人・文姜と斉へ赴くと、斉侯と文姜が密通し、これを咎めた桓公は公子彭生の手により車中で殺される。魯人の申し入れにより斉は彭生を処断して事を収めた。桓公十八年(前694年)の一件。
年表(1件)
- 桓公十八年前694年斉に赴いた桓公が公子彭生に殺され斉が彭生を処断する
桓公十八年(前694年)
- 桓公が夫人・文姜と共に斉へ赴こうとした際、申繻は「女には嫁ぎ先の家、男には自分の家があり、互いにみだりに越えてはならない、この道理を破れば必ず破綻する」と諫めたが、桓公は聞かず、濼で斉侯と会い、文姜と共に斉へ入った。
- 斉侯(文姜の兄)は文姜と密通した。桓公がこれを咎めると文姜は斉侯に告げた。
- 夏四月、斉侯は桓公を饗応し、公子彭生に桓公を車に乗せさせたが、桓公は車中で薨じた。
- 魯人は斉に「我が君は旧好を修めに参られたが、礼を終えたまま帰国できず、これでは咎の帰する先もなく諸侯に対しても面目が立たない、彭生を処断して事を収めていただきたい」と申し入れ、斉人は彭生を殺した。