春秋左傳事類始末滕侯・薛侯、席次を争う(滕侯薛侯爭長)
朝見に来た滕侯と薛侯が席次を争い、薛侯は先に封じられたことを、滕侯は周の卜正の家柄で異姓の薛より上位であることを主張した。隠公は羽父を遣わし異姓は後に置かれる礼を説いて調整し、薛侯が譲って滕侯が先とされた。隱公十一年(前712年)の一件。
年表(1件)
- 隱公十一年前712年隠公の調整により滕侯が薛侯に先んじる席次となる
隱公十一年(前712年)
- 滕侯と薛侯が朝見に来た際、席次の先後を争った。薛侯は「我が国の方が先に封じられた」と主張し、滕侯は「自分は周の卜正(占卜官)の家柄であり、薛は異姓の家、後に位置づけられるべきではない」と反論した。
- 隠公は羽父を薛侯のもとに遣わし、「山に木があれば材木としての価値を測るように、客をもてなす際は主人が礼にかなう対応を選ぶもの。周の宗族の会盟では異姓は後に置かれる。もし自分(隠公)が薛に朝見するなら異姓の任姓の列に加わることはできないが、もし薛侯が譲ってくれるなら滕君を先に立てたい」と申し入れた。
- 薛侯はこれを了承し、滕侯を先とした。