樵史通俗演義第二十九回 李公子、闖に投じ禍を逃れ、楊督師、機を失い身を殞す (李公子投闖逃禍 楊督師失機殞身)
朝廷の混迷と流賊の拡大
- 温体仁ら宰相が頻繁に更迭される中、朝廷は流賊対策に手を尽くせず、李自成は河南を、張献忠は湖広を、羅汝才(自称「曹操王」)は山東を荒らし、羅汝才も李自成を盟主と仰ぐようになり、勢力は四十万に達した。
李岩の入伙
- 開封府杞県の挙人・李岩は、飢饉に苦しむ民のために知県に減免と賑済を進言するが容れられず、自ら家蔵の穀物を貧民に施した。これに乗じた無頼者たちが富家に迫って騒動となり、知県は李岩を首謀者として告発し投獄する。
- 怒った民衆は知県を殺して獄を破り李岩を救出、県城に火を放って散った。李岩はやむなく李自成のもとに身を投じ、その謀主となる。
牛金星・宋献策の入伙と汴梁攻囲
- 李岩は李自成に仁義を装い殺戮を控えて民心を得るよう勧め、旧知の牛金星(右丞相)、術者の宋献策(軍師)らを推挙した。宋献策は「十八孩児当主神器」との予言を献じ、李自成を喜ばせた。
- 李自成は「闖王来たれば納糧なし」との童謡を流布させて民心を集め、羅汝才と合流して汴梁を包囲するが、守将陳永福の矢に右目を射抜かれて隻眼となり、朱仙鎮では官軍に大敗して山東へ退いた。
黄河決壊と張献忠の侵攻
- 張献忠は湖広で十余州県を攻略、李自成も再び汴梁を包囲、水攻めのために黄河の堤を決壊させ、開封は水没して周王府も甚大な被害を受けた。
- 楊嗣昌は左良玉に功を認められ意気込むが、張献忠が襄陽を陥落させ楚王・襄王を殺害したとの報に絶望し自刃した。左良玉は降格処分を受け士気を失う。
- 湖広巡按の劉熙祚は永州で捕らえられ、寧郷県で降伏を拒み続けて壁に忠誠を示す詩を残し、最後は孔廟で処刑された。
評語
- 劉熙祚が最後まで屈せず、獄中で忠義の詩を書き残して従容と死に赴いた気節を讃えている。