樵史通俗演義第二十八回 叛賊、衆を聚め秦晋を毒し、流氛、隊を分けて梁楚を犯す (叛賊聚眾毒秦晉 流氛分隊犯梁楚)
民の強制徴募と初戦
- 高闖王一党は熊文燦の討伐が迫るのを知り、渭源・河州・金県・甘州一帯で民を脅して強制的に仲間に加える非道な手口(従わなければ斬殺、逃亡すれば耳や顔を傷つける)で瞬く間に十余万の兵力を得た。
- 熊文燦は虎大威・陳永福らを率いて土山を攻める。李自成の献策により、賊軍は前・中・後の三隊で官軍を挟撃する作戦を取ったが、緒戦で馬守応らが官軍の参将二人を討ち取ったものの、羅汝才は陳永福の矢に射られ、賊軍は総崩れとなり十のうち七を失う大敗を喫した。
- 敗残の頭目たちは高如岳の戦死を見て離散を決め、義兄弟の契りを結んで各自逃亡する。羅汝才は湖広へ、劉国龍は投降を、李自成は邢氏を連れて汾西方面へと落ち延びた。
再起と盧象昇の戦死
- 熊文燦は大勝を報告して大名府へ引き上げたが、一年のうちに李自成は再び数万の勢力を築き、劉良佐・馬守応・賀一龍らも合流、河曲・汾陽など諸県を攻略した。
- 崇禎帝は盧象昇を兵部尚書に任じ討伐に当たらせるが、李自成は張献忠と再び結び、盧象昇は連戦の末に兵を失い、援軍も得られぬまま陣中で壮烈な戦死を遂げる。
評語
- 盧象昇は皇帝より剣を賜り重責を担いながら、援軍を得られず陣没した忠臣として讃えられている。
邢氏と高傑の密通
- 陳啓新の上奏により熊文燦は「帯罪立功」とされ、楊嗣昌が討伐の全権を握るが、賊勢はなお衰えなかった。
- 李自成が開封・帰徳方面へ出撃する間、老営には劉良佐と高傑が留守居役として残された。かねて李自成の妻・邢氏と密通していた高傑は、巡邏を口実に営内に忍び込み逢瀬を重ねる。
- やがて二人は熊文燦への投降を企て、心腹の兵を連れて出奔する。劉良佐は李自成への義理から老営を守り続けた。
- 投降した高傑は熊文燦の下で守備の職を得るが、真に投降したはずの張献忠は八月に反旗を翻して湖広に攻め入り、勢力はさらに拡大した。
- 崇禎帝は熊文燦を捕らえて刑部に投獄し、討賊の詔を発して自ら質素な生活で臣下と艱難を共にする姿勢を示した。