樵史通俗演義第二十三回 新天子、金甌を枚卜し、衆君子、盛世に弾冠す (新天子金甌枚卜 眾君子盛世彈冠)
崇禎帝、新閣老を選ぶ
- 天啓年間の名臣・劉一燝、韓爌、葉向高らが退いたままであることを崇禎帝は心配し、既存の閣老(施鳳来・李国木ら)も頼りにならないため、吏部・九卿に入閣候補を推挙させる。
- 挙げられた十二名の名簿から、崇禎帝は宮中で拈鬮(くじ引き)の儀式を行い、銭龍錫・楊景辰・来宗道・李標・周道登・劉鴻訓の六名を選び、礼部尚書兼東閣大学士として入閣させた。世人はこの人選を異例と見たが、来宗道が魏忠賢に阿った過去以外は概ね賢才が揃っていた。
逆党の粛清と冤罪の雪ぎ
- 崇禎帝は許志吉・李明道・崔文昇ら魏党関係者の処罰を命じる一方、田爾耕・許顕純を処刑し財産を没収。劉若愚は取り調べで自著『酌中志略』を提出し、その文才を惜しんだ姚士慎の計らいで刑を猶予され続稿を許された。李永貞は処刑された。
- 魏忠賢を弾劾して罷免されていた国公朱国弼の俸給が回復され、副榜・監生による恩貢の乱発も禁じられた。
- 賢宦官として知られた王安の冤罪が雪がれ官職・家財が返還され、魏忠賢に迫害された順天府丞劉志選は罷免・拿問、張国紀は復官した。
- 魏忠賢に阿った太監・涂文輔は追放され、公署は没収。魏党の阮大鋮・彭祖寿も復職嘆願が却下され、閑職に留め置かれた。
内操軍の解散
- 崇禎帝は魏忠賢が組織した内操軍(禁城警護の私兵)の危険性を閣臣に語り、武力による粛清ではなく、一月の休暇を名目に犒賞・月糧を与えて穏便に帰郷させる形で八千人を解散させた。