樵史通俗演義第二十一回 凶星世に出で強力多く、悪曜、監門にて艶姿を得る (凶星出世多強力 惡曜監門得艷姿)

李鴻基(自成)の生い立ち

  • 陝西延安府米脂県の雙泉堡に住む小地主・李守忠は、代々一子相伝の家であった。息子の李鴻名が早世した後、守忠は自らの子・李鴻基(後の李自成)と、鴻名の忘れ形見である孫・李過を、ともに育てることになった。
  • 二人とも学問を嫌い、棒術や取っ組み合いを好んだ。母(祖母)を亡くしても悲しむ様子もなく、悪友と飲み歩く日々を送った。
  • 近所の劉老人の息子・劉国龍とも意気投合し、三人は関帝廟で義兄弟の契りを結んだ。

剛力の誇示と改名

  • 李鴻基は廟の七十三斤の鉄香炉を軽々と持ち上げて周囲を驚かせ、劉国龍・李過もこれに続いたが力及ばなかった。道士は三人の怪力を称賛した。
  • 李鴻基は「大丈夫として天下を横行し、自ら一家を成す」と豪語し、かつて見た夢の中で大将軍に「李自成」と呼ばれたことにちなみ、自ら名を李自成と改めた。

出奔と武芸修行

  • 父に叱られ読書を強いられた李自成は、こっそり金を持ち出して延安府へ出奔し、羅という武術師範に弟子入りした。
  • 心配した父・守忠が延安府まで探しに行き、羅師範のとりなしで自成は一旦米脂県へ連れ戻された。その後、羅師範を家に招き、李過・劉国龍とともに正式に師事させ、家産を武芸修行の費用に費やすようになった。

韓氏との結婚

  • 十八、九歳になった李自成は素行が荒れ、酒や賭博に耽った。李過が先に妻を娶ると、李自成も美貌の妻を望み、媒婆の勧めで再婚歴のある韓氏(韓金児)を選んだ。
  • 韓氏は元遊女の娘で、これまで二度嫁ぎ先で不品行のため実家に返されていた素性であったが、李自成は容姿に惚れ込み、財礼八十両で強引に娶った。
  • 婚礼の後、父・李守忠は嫁の様子に不安を覚えたが、事の顛末は次回に持ち越された。