樵史通俗演義第十八回 科部、疏して正臣の冤を雪ぎ、羈戍の路に天子の赦に逢う (科部疏雪正臣冤 羈戍路逢天子赦)

冤罪の訴え

  • 崔・魏・客の三奸は自ら死んだが、彼らに陥れられた忠臣たちの冤罪は容易には晴れなかった。
  • 御史の安伸は、崔呈秀の生祠に拝礼しなかったために迫害された耿如杞の事案を上奏。潘副使・郭興言・耿応昌らも相次いで、耿如杞・胡士容・李承恩・劉鐸ら冤罪に問われた者たちの雪冤を求める上奏を行った。
  • 崇禎帝はこれらの上奏をしばらく留め置き、獄中の官たちも聖意を測りかねていた。

獄中の会話と赦免

  • 獄中の諸臣は、崔呈秀の失脚、魏忠賢の護送、そして三人が相次いで死んだ報せを聞くたびに、皮肉交じりに語り合っていた。
  • 惠世揚は、かつて魏忠賢の巡視の際に崔呈秀が作成した処罰予定者の名簿に自分たちが含まれていたことを振り返り、悪人が先に滅んだ天の報いを喜んだ。
  • 耿如杞への赦免の聖旨が届くと、獄中は歓喜に沸いた(詩:憔悴した身が牢を出る夢のような喜びを詠む)。
  • 耿如杞は出獄後すぐに謝恩の上奏を行い、崇禎帝は帰郷を許さず原職に復させた。

姚士慎の上奏と大赦

  • 大理寺少卿の姚士慎は、魏忠賢一族の残党(良棟・良材ら)の追討と、方震孺・惠世揚・毛士龍ら無実の罪に問われた者たちの赦免を求める上奏を行った。
  • 崇禎帝はこれを容れ、方震孺・惠世揚の釈放と毛士龍の自首による寛大な処分を命じ、胡士容・耿応昌・李柱明らも相次いで釈放された。

毛士龍の逃避行

  • 刑科給事中の毛士龍は、かつて魏忠賢の不正に屈せず、賄賂も拒み続けたため深く恨まれ、冤罪を着せられて追放処分となっていた。
  • 逮捕命令が下ったとの報を受け、毛士龍は弟の毛之望と共に、家族を先に帰らせたうえで密かに太行山の間道を通って逃れることにした。
  • 道中、太行山の玉皇廟で道士に身を寄せた。その道士は実は江陰の徐霞客であり、同郷のよしみから毛士龍兄弟を厚くもてなした。
  • 毛之望は先に帰郷して家族の様子を探ったが、家族は魏忠賢の命により追捕され、獄中で死者も出ていたことが分かった。撫按の取り計らいで家族はようやく釈放された。
  • 毛之望は甥を連れて再び太行山を訪れ、毛士龍と合流して玉皇廟に身を寄せた。
  • 年が明け、崇禎元年となった頃、毛士龍は亡父が夢に現れ「赦免された、早く山を下りよ」と告げる夢を見た。翌日、平陽衛に戻ると、果たして恩赦が下っていた。