蜀鑑岐と蜀、たがいに争う(岐蜀交争)

前蜀の王建と鳳翔の岐王・李茂貞が漢中から隴右にかけて争った経過。永平元年(911年)に岐が興元を攻めて蜀軍が青泥嶺で大敗し、安遠軍が包囲されるが、王建自ら出馬して岐兵を大破し形勢が逆転する。以後は蜀が攻勢に転じ、文州・階州を経て永平五年に階・成・秦・鳳の四州を奪い、通正元年には鳳翔を包囲するまでに至る。先天元年(917年)の王建の死と王宗衍の即位で結ぶ、七年間の攻防。

年表(6件)

蜀永平元年(911年)

  • 岐が興元を攻め、唐道襲がこれを防いだ。
  • 岐王(李茂貞)は劉知俊と李継崇に兵を率いさせて蜀を攻めた。王宗侃らが青泥嶺で戦って蜀兵は大敗し、王宗浩は興州へ、唐道襲は興元へ逃げた。
  • これより先、王宗綰が西県に城を築いて安遠軍と称していた。王宗侃・王宗賀らは散兵を集めてここに立てこもり、劉知俊と李継崇が追って包囲した。興元を捨てようという議論が出たが、唐道襲は、興元がなければ安遠も失われ利州まで敵地になる、必ず死守すると言った。
  • 王宗播が兵を率いて安遠軍を救い、廉水と譲水の間に陣を張り、唐道襲と合わせて岐兵を撃ち、明珠曲で大破した。翌日また鳧口で戦い、岐の成州刺史の李彦琛を斬った。
  • 蜀主(王建)が自ら軍を率いて岐兵を大破した。蜀主は利州へ赴き、彭君集に岐の二つの砦を破らせた。安遠にいた王宗侃は、人を遣わして中巴から間道づたいに泥渓へ至らせ、蜀主に急を告げた。
  • 蜀主は王宗弼に安遠を救わせ、王宗弼は斜谷で劉知俊と戦って破り、さらに金牛で岐兵を破って十六の砦を抜き、六千余を捕らえ斬った。王宗播は黄牛川で岐兵を破った。
  • 蜀主が利州から興元へ進むと、安遠軍はその旗を望み、王宗侃らが太鼓を鳴らして打って出、援軍と挟み撃ちにして岐兵を大破し、二十一の砦を抜いた。岐兵は囲みを解いて逃げ去った。

蜀永平二年(912年)

  • 王宗汾が岐の文州を攻めて抜いた。

永平四年(914年)

  • 蜀が岐の階州を攻め、長城関を破った。

永平五年(915年)

  • 蜀が兵を出して岐を攻め、階・成・秦・鳳の四州を取った。
  • 蜀は王宗播に秦州を、王宗瑶に鳳州を攻めさせ、王宗翰は兵を率いて青泥嶺を出て固鎮を陥れた。王宗翰は秦州の将の郭守謙と泥陽川で戦って敗れ、退いて鹿台山を保った。
  • 王宗綰らが金沙谷で秦州の兵を破り、勝ちに乗じて秦州へ迫った。王宗鐸が階州を、王宗綰が成州を陥れた。蜀軍が上染坊に至ると、秦州節度使の李継崇は牌印を捧げて降った。王宗綰は河池・両当から進んで王宗瑶と合流し、鳳州を攻め落とした。

通正元年(916年)

  • 蜀が岐を攻め、鳳翔を包囲した。王宗綰が全軍を挙げて大散関を出て岐兵を大破し、捕らえ斬ること万を数え、そのまま宝鶏を取った。王宗播らは故関を出て隴州に至り、李継岌は隴州を捨てて蜀軍に降った。蜀軍はさらに隴州を攻めたが、大雪に遭ったため蜀主は軍を呼び戻した。

先天元年(917年)

  • 蜀主の王建が没し、太子の王宗衍が立った。