蜀鑑秦人、漢中を取る(秦人取漢中)
秦惠文王更元十三年(前312年)に庶長章が楚から漢中六百里の地を奪い、巴・蜀を分けて漢中郡を置いてから、秦昭襄王二十年(前287年)に王が漢中へ赴くまで。南鄭と漢中は本来別で、南鄭は古の褒国、漢中は今の金・洋・均・房などにわたる地である。秦が漢中を得て南鄭をこれに属させたことで両者が一体視されるようになった。漢中は秦・楚・巴・蜀が必ず争う要地で、秦はここを押さえて上流を制し、楚を攻める構えを固めた。
年表(3件)
- 秦惠文王
- 更元十三年前312年庶長章が楚の漢中六百里を取り、漢中郡を置く
- 秦昭襄王
- 十三年前294年任鄙を漢中守とする
- 二十年前287年王が漢中に赴く
秦惠文王更元十三年(前312年)
- 秦の庶長章が楚の漢中を攻め、六百里の地を取った。あわせて巴・蜀を分けて漢中郡を置いた。
史論(論曰)
- 南鄭と漢中は本来別のものである。南鄭は古の褒国で、秦が蜀を得る以前に押さえていた。漢中とは今の金・洋・均・房などの州にわたる六百里の地を指す。
- 秦が漢中を得たのち南鄭をそこに属させて郡を置いたため、南鄭と漢中が一体として扱われるようになった。
- 春秋期に楚・秦・巴が庸を滅ぼしたのは今の金州・房州の地である。『漢書』地理志では漢中郡の治所を西の地とするが、これは今の金州上庸郡にあたる。
- 漢中は秦・楚・巴・蜀が必ず争う要地であり、秦はここを得たことで上流を完全に押さえ、楚を攻める構えを固めた。
秦昭襄王十三年(前294年)
- 任鄙を漢中守とした。
秦昭襄王二十年(前287年)
- 王が漢中に赴いた。