蜀鑑秦人、南鄭を取る(秦人取南鄭)

秦が蜀の北の玄関口である南鄭を手に入れるまでの経緯を、秦厲公二十六年(前451年)から秦惠公十三年(前387年)までの三つの年で追う。秦は築城と喪失をくり返したのち、蜀を攻めて南鄭を確保した。南鄭は褒斜の道を扼する蜀の垣根であり、常璩の言を引いて、ここが秦の手に落ちてから七十二年で蜀が滅んだことを、唇亡びて歯寒しの理として説く。

年表(3件)

秦厲公二十六年(前451年)

  • 秦が左庶長を派遣し、南鄭に城を築いた。

秦躁公二年(前441年)

  • 南鄭が秦にそむいた。

秦惠公十三年(前387年)

  • 秦が蜀を攻め、南鄭を手に入れた。

史論(論曰)

  • 常璩は、蜀は褒斜の道を正面の門としていたと述べる。つまり南鄭は蜀を守る垣根にあたる。
  • その南鄭が秦の手に落ちてから七十二年で蜀は滅んだ。唇がなくなれば歯が寒い、という理は古くから変わらない。
  • 後世に蜀を治める者は、この経緯を戒めとすべきである。