- 要旨: 史書は扱う範囲(断限)を定めるべきなのに、漢書が表・志で上古まで遡って以来、後の史書も他書の領分にまで手を伸ばして重複を重ねている、という批判。
断限の本義
- 書に約を立てることは古くからある。孔子が虞書を定めるにあたっては舜から始めながら「粤若稽古、帝堯」と言い、左丘明が魯史を傳するにあたっては隱公を先としながら「惠公の元妃は孟子」と言う。いずれも境界を正して発端を開いたもので、沿革があって前後が交わるのは事の勢いとして当然であり、行き過ぎではない。
- これを越えるのは、狂簡にして裁ち方を知らないというものである。孔子は「その位に在らざれば、その政を謀らず」と言う。漢書が表・志を立てたのは、官を侵し局を離れたものではないか。
漢書の表志が発端
- その濫觴は司馬氏に発する。史記は「史」を書名とし、漢書は「漢」を標目とする。史記は数千年の事を載せて包まないものが無く、漢書は十二帝の時を紀すのだから範囲に限りがある。
- 班固は司馬遷の記を分けて取捨を判じ、紀傳では漢の分だけを残したのに、表・志では伏羲の年まで録した。一を挙げて三を反すべきところ、膠で柱を固めて瑟を調えるようなもので、誤りではないか。
- 班固の踳駁は済んだことだから諫めても始まらないが、後の作者はみなその迷いに倣った。宋史(沈約の宋書)は上は魏朝を括り、隋書は仰いで梁代を包む。書かれた事のうち本来の範囲に属するものは千百のうち十一にすぎない。いったん例ができると誰も動かそうとしない。嘆かわしいことである。
- 魏の武帝が時に乗じて乱を撥め群雄を掃ったとき、鋒鏑を交え網羅の及んだ相手は二袁(袁紹・袁術)・劉表・呂布くらいである。彼らは毒を進めて弑逆を行い、あるいは臍を燃やされて誅された。いずれも王室に関わることで、覇業には及ばない。それなのに陳寿の三國志は彼らを傳の首に置いている。
- 漢に董卓がいたのは秦に趙高がいたようなものである。趙高(東令)の誅が漢史に列されないのに、なぜ董太師の死だけが魏書に刋されるのか。
- 臧洪・陶謙・劉虞・公孫瓚は末世に生まれて互いに呑み合った者であり、曹氏との関係は犬牙のように入り組んでいるどころか、風馬牛のように無縁である。漢の典籍に具わっているのに魏の冊にも編むのは、流れ流れて帰るのを忘れ、迷ったまま悟らないものである。
他書と重複させない
- 一代の史でも上下は交わる。他の記にすでに見えるなら重ねて述べるべきではない。子嬰が沛公に降ったことは秦紀で詳しく検し、孫策(伯符)が漢で死んだことは吳書に断ち入れる。それでよい。
- 沈約の宋書が上に劉主(劉裕以前)を羈み、魏書が下に高王(高歡)を列するのは、蜀にも齊にもそれぞれ国史があるのだから、次を越えて載せるのが宜しいはずがない。
- 五胡が制を称して四海が分かれてから、江左は正朔を承けて魏胡を斥け、互いに相手を録して索虜傳を成した。魏はもと雑種から出て自ら真君を号し、その史は本朝に党して前作を凌ごうとし、南は典午(司馬氏)を籠め北は諸偽を呑んで、群盗と同じく傳中に入れた。
- しかし晉の元帝・明帝の時代、中原が秦・趙の代であったころ、元氏(拓跋氏)は膜拝稽首して自ら臣妾と同じであった。それを傳に列するとは、厚顔も甚だしい。
- また張氏・李氏らが涼・蜀に拠ったのは、魏とは年代が前後して接せず、地は参商のように隔たっている。魏に何の関わりがあって横から編み載せるのか。
経書や旧史の丸写し
- 尚書は七経の冠、百家の襟袖である。学ぶ者はまずこれを精しくし、次に群籍を覧るべきで、道によらずに行くのは聞いたことがない。
- 国史を修める者が傍らに異聞を採って博物を成すのはよい。しかし班書の地理志が冒頭で禹貢一篇をそっくり写し、後の書がそれを承けて続けるのは、水を水で薄め床の上に床を敷くようなもので、煩わしいだけで用が無い。
- 春秋の諸国は詩を賦して意を示したが、左氏はその章名を録するだけである。地理を書として古来の風俗を論ずるなら、夏の世については「禹貢に詳しい」と言えばよく、古文を重ねて言葉を費やす必要はない。
- 夷狄の種族の由来——北貊が淳維に起こり、南蛮が盤瓠に出、高句麗が鼈の橋で渡り、吐谷渾が馬の闘いによって移り住んだ——といった説も、歴代のどの書にでもある。それなのに作者は前の撰にすでに著されていることを知らず、後の修撰でやめるべきなのに、百世にわたって一字も改めずに伝えている。
- 手の余分な指は千鈞の力を加えず、体の贅肉は七尺の形を広げない。史の体もこれと同じである。むやみに他の事を引いて部帙を膨らませ、それを博識と称するのは、我々の聞いてきたところとは違う。
- 陸機(士衡)は「愛するところがあっても必ず捨てよ」と言う。よい言葉であり、作者の要諦に達している。
- 断限を明らかにして折衷を定めた例を古来選べば、蕭子顯だけが近い。ただし累が全く無いかといえば、そこまでは認められない。