- 要旨: 明の張之象本・陸深の刻本・鄧氏本などと、何焯(義門)・顧千里・盧文弨の羣書拾補などの校記を突き合わせ、全巻にわたる字句の異同を巻ごとに列挙した校勘記。字の異同は各巻に数十件ずつあり、ここでは本文の内容に関わる指摘を挙げる。
校記の体裁
- 見出しは「史通卷第N」で、その下に「(何葉何行)本文の字(異本の字と出典)」の形で異同を並べる。出典は張之象本・鄧本・何氏(何焯)・顧千里・羣書拾補・馮校など。
- 音や字体だけの異同(于と干、常と恒、諜と牃、頴と潁など)が大半を占める。
篇の構成に関わる指摘
- 目録では第四巻の題目以下に「第」の字が無い。
- 弛張篇以下の末三篇について、何氏は「ともに亡んでいる」といい、體統篇が自敍にあたるという説もある。毓修は羣書拾補を引いて「宋本には外篇の目録が無く、張之象本にあるのは正しくない」とする。
- 因習上第十八について、馮評は旧本が「因習十八・邑里十九」であることを指摘し、ともに正すべきだとしたうえで、ここでは陸文裕(陸深)の刻本に従うとする。因習下第十九も「邑里第十九」とする本がある。
- 補注篇は下半が欠けており、「採其所捐」以下は因習篇の文が紛れ込んでいる。ここでは張之象本によって補った。補われた文は、補注が要でないことばかりを言い急がない事ばかりを載せる弊を説き、劉孝標が繆りを攻めるのに優れながら、才識を委巷の小説や流俗の短書に費やしたのは労して功無しだと批判し、蕭氏・楊氏の瑣雑、王氏・宋氏の鄙碎を「金を選り分けるようで実は鶏肋」と評したうえで、鄭玄と王肅、何休と馬融の経学上の争いは儒家の領分であって史家の言ではないので、ここには書かないと結ぶ。
篇の帰属に関わる指摘
- 曲筆篇の「此義安可言於史耶」の下について、何氏は馮本により「夫史之曲筆誣書、至盜憎主人之甚乎」以下を増入する。刻本はこの一百九十九字を誤って鑒識篇に入れている。顧千里は「曲筆に入れるべきでない」とし、李百藥が魏收を実録とし魏徵が王劭を正直に慚じるとしたのは、いずれも劉子玄が鑒識の誤りとして摘んだものだと言う。曲筆は事を載せて実を失うこと、鑒識は史を評して理に乖くことで、二篇の別はここにあるとする。
- 巻二十の「劭」の字について、顧千里は文粹および厚齋語により「韶」に改めたが、これは王君懋(王劭)が齊志二十巻・隋史八十巻を著した人物であり、直書篇・鑒識篇に見えるもので、曲筆篇に改め入れるのは困学紀聞に始まる誤りで義門もこれを踏襲したのだ、と指摘する。
脱文・衍文の指摘
- 巻六の九葉に、鈔本には「幷序」が無く「簡要」「隱晦」「妄飾」の三条二行八字が無い。
- 巻十一の詔書「詔曰」から「國史等之事」までの一百二字は、張之象本では双行の夾注とする。同巻十葉の「既而」から「相副」までの五十五字も、鄧本は鈔本で小字の史注とする。
- 巻十四以下では、僖公の下、勝負の理の下、流矢の禍の下、經云の下などに脱文があると顧千里が指摘する。
- 巻十五では、漢の詔にかかわる箇所で「宜奉義遵職、愚蠢不逮事、方今盛夏吉時、臣青翟臣湯等」の二十二字を拾補が補う。
- 巻十八の九葉には、張之象本に「遷史編於李傳中、斯爲繆矣」の十一字がある。何氏は「班氏が遷を善しとした字の書き誤りで、通史とすべきだ」と論じ、顧千里も「遷は通の誤り」とする。
- 巻十二・十九には、年号・年数の異同(永和と永光、綏和四年と二年、四十と十四など)が多い。