新唐書卷二百二十五中 列傳第一百五十中 李希烈

淮西節度使への台頭

  • 李希烈、燕州遼西の人。李忠臣の部将から実力で頭角を現し、忠臣の追放後に自ら淮西節度使の後任となった。梁崇義討伐の功で同中書門下平章事に至ったが、平定後の領地を私しようとする野心を見せた。

李納討伐から反乱への転化

  • 李納討伐を命じられながら実は野心を隠し、河北の朱滔・田悦らと結んで「建興王・天下都元帥」を自称。建中4年(783年)、汝州を陥落させ、顏真卿を懐柔の使者として送るも屈服させ、江西の嗣曹王臯らの反撃を招いた。

汴州占拠と楚国の僭称

  • 汴州を陥落させ「楚」を国号として皇帝を僭称、四節度を設けるなど本格的な政権樹立を図った。寧陵での攻防では高彦昭・劉昌の奮戦により大敗を喫し、以後劣勢に転じた。

衰退と暗殺

  • 江西の嗣曹王臯、張建封、樊澤らの攻勢で領地は縮小し、貞元2年(786年)頃には勢いを失った。病を患ったところを部将陳仙奇に毒殺され、首は朝廷に献じられた。竇氏という側室が仙奇の妻を通じて内部から寝返りを図った経緯も詳しく記録されている。