黄巣の乱平定の功労者
- 閩の人、もと喬氏。内常侍楊玄価の家で養われ武勇に優れた。乾符初、平盧節度使曾元裕を助け王仙芝を破った。招討使宋威が仙芝の降将尚君長の功を妬んで密かに誅殺を進言したため仙芝が再叛した経緯、後任として復光が指揮を執り徐唐莒を捕らえた功も記される。
- 王鐸の招討使時代、荊南の混乱(宋浩と段彦謨の確執)を仲裁し、忠武軍の周岌を説得して朝廷側に帰順させた逸話(酒宴での涙の説得)が伝わる。秦宗権の裨将王淑の処断、鹿宴弘・晉暉・張造・李師泰・王建・韓建らを将として南陽で朱温らを撃破した功もある。
- 朱温の同州降伏の調略、王重榮への李克用招請の助言(「太原への道が通じていないだけで、克用は信のおける人物」)も的中し、長安平定に功を挙げた。開府儀同三司・同華制置使・弘農郡公。河中で没し観軍容使・諡は忠肅を追贈された。
- 部下への恩情に篤く、死を悼んで軍中が慟哭したという。多くの子が将帥となり、守宗も忠武節度使に至った。
贊
- 楚の鄖公辛は君に讎いても父の冤を忘れなかった。昭湣の代、両軍の寵遇に厚薄があったが、最終的に馬存亮が難を平らげた功は誰にも劣らない。古来、疎斥から忠臣が出ることは多いが、存亮ほど君臣の大義を明らかにした者は稀である。大功をひけらかさず権を避けて外に出た点でも賢明であった。それに比べれば「龍蛇」の詩(自らの功を誇る詩)を書き残した者たちの何と小さいことか。