新唐書卷二百六 列傳第一百三十一 李翛

李翛

  • 出自は寒賤で、莊憲太后の姻戚の縁で昇進した。坊・絳二州刺史を経て、憲宗に才を認められ司農卿・京兆尹。聚斂と近臣への讒言で寵を固めたが、太后崩御時の橋道置頓使として経費を過度に切り詰め、渭城門の粗雑な工事で崩落事故を招き、車軸破損を偽って報告するなど不祥事が続いた。山陵使李逢吉の弾劾を受けたが罰を免れ、浙西観察使として利権を貪ったが病により帰京、元和十四年に没した際は「祝賀する者もいた」という。